この記事では、吉原神社(よしわら じんじゃ)を紹介します。
吉原神社は、東京の台東区にある、小さな神社です。
この神社は、日比谷線の三ノ輪駅や入谷駅から徒歩 12 分くらいのところにあります。あまり歩きたくない場合は、めぐりんバスを使うことをおすすめします。近所の台東病院にめぐりんバスの停留所があります。
吉原神社の主祭神(中心となる神さま)は、倉稲魂命(うかの みたまの みこと)です。倉稲魂命は、穀物と農業の神さまです。主なご神徳(ご利益)は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸事上達、その他です。
吉原神社は、吉原遊廓にあった 5 つの稲荷神社を 1 つにまとめたものです。そのため、この神社は、吉原遊廓で働く女性に人気がありました。
近所にある吉原弁財天(よしわら べんざいてん)は、吉原神社の境外社(境外にある小さな神社)です。この神社の吉原観音像は、関東大震災で亡くなった、吉原遊郭の遊女を供養するためのものです。
なお、この記事は英語版とやさしい日本語版もあります。詳細については、つぎの記事を参照してください。
由緒(歴史)

吉原神社によると、この神社の始まりは 19 世紀にまでさかのぼります。
当時、この地域に吉原遊郭(よしわら ゆうかく)がありました。遊郭は、男性がお金を払って女性と遊ぶ場所です。
吉原遊廓には 5 つの小さな稲荷神社がありました。遊郭内の四隅には、つぎの稲荷神社がありました。
- 開運稲荷神社(かいうん いなり じんじゃ)
- 榎本稲荷神社(えのもと いなり じんじゃ)
- 明石稲荷神社(あかし いなり じんじゃ)
- 九郎助稲荷神社(くろすけ いなり じんじゃ)
そして、吉原遊郭の唯一の出入り口であった吉原大門(よしわら おおもん)の前には、玄徳稲荷神社(よしとく いなり じんじゃ)がありました。
1872 年(明治 5 年)、これら 5 つの稲荷神社は 1 つにまとめられました。これが吉原神社です。当時の吉原神社は、玄徳稲荷神社の跡地にありました。
1923 年(大正 12 年)、吉原神社は関東大震災で焼失しました。そのため、この神社は、吉原遊廓の水道尻(吉原遊廓の一番奥)の近くに移転しました。
1934 年(昭和 9 年)、吉原神社は現在地に移転しました。近所にあった吉原弁財天を合祀したのもこのときです。その後、1945 年(昭和 20 年)の東京大空襲で再び焼失、1968 年(昭和 43 年)に現在の社殿が建てられました。
神さまとご神徳(ご利益)
倉稲魂命(うか の みたま の みこと)
吉原神社の主祭神(中心となる神さま)は、倉稲魂命(うか の みたま の みこと)です。この神さまは、稲をつかさどる神さまです。同じく稲をつかさどる神さまの稲荷神(いなりしん)と同一視されます。
倉稲魂命は、穀物と農業の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸事上達、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
市杵島姫命(いちきしまひめ の みこと)
市杵島姫命(いちきしまひめの みこと)も吉原神社の主祭神です。この神さまは、スサノオの剣から生まれた宗像三女神の 1 柱です。また、七福神の弁財天(べんざいてん)と同じ神さまと言われています。
市寸島比賣命は、水と芸事の神さまです。主なご神徳(ご利益)は、商売繁盛、金運上昇、芸事上達、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
弁財天(べんざいてん)
吉原神社の境外社の吉原弁財天は、七福神の弁財天(べんざいてん)を祀っています。弁財天は、市杵島姫命と同じ神さまと言われています。
弁財天は芸事や金運の神さまです。弁財天のご神徳(ご利益)は、商売繁盛、金運上昇、芸事上達、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。

見どころ
吉原遊郭の歴史
吉原神社をより深く理解するには、江戸時代から昭和時代まで続いた吉原遊郭の歴史を紐解く必要があります。
当時、幕府による江戸の街の都市開発のために、庶民はたびたび移転を強いられることがありました。その移転の頻度があまりにも多かったために遊女屋は政府に遊郭の設置を陳情したとされます。
1617 年(元和 3 年)、江戸幕府は、現在の日本橋人形町に遊郭を設置しました。市中にある遊女屋を 1 か所に集め、その周囲を堀で囲って吉原と名付けました。名主に遊郭を管理させることで、税金を徴収したり、そこ働く女性を一括で管理したりする目的もありました。
江戸の街が発達するにつれ、江戸城にほど近いところに遊廓があることが問題視されるようになりました。また、1657 年(明暦 3 年)に起きた明暦の大火で江戸の街の大半が焼失しました。そのため、吉原遊廓は現在地である千束に移されました。
その後 300 年間、吉原遊廓は単なる花街としてでなく、文化の中心地として栄えました。しかし、1957 年(昭和 32 年)に売春防止法が施行され、吉原遊廓はその歴史に幕を下ろしました。
なお、日本橋にあった吉原を元吉原、千束にあった吉原を新吉原と呼びます。単に吉原と言った場合、新吉原を指します。
多いときには 8,000 人以上の人びとが新吉原で働いていたといわれています。吉原神社は、そこで働く多くの女性の信仰を集めました。
吉原弁財天の吉原観音像

吉原弁財天(よしわら べんざいてん)は、吉原神社の境外社(境外にある小さな神社)です。吉原神社から 1 分ほど歩いた場所にあります。
吉原弁財天は、七福神の弁財天を祀っています。それ以外にも、1926 年(大正 15 年)に建てられた吉原観音像があります。
吉原遊郭は、その周りをお歯黒どぶと呼ばれる堀で囲われていました。また、遊女の逃亡を防ぐために、人びとの出入りは吉原大門のみに限定されていました。
この吉原弁財天の敷地はその吉原大門から一番離れた場所にありました。また、弁天池(花園池)と呼ばれる池がありました。その池の深さは中央で 4m ほどあったといわれています。
1923 年(大正 12 年)に関東大震災がおきた際、吉原遊廓でも火災が発生しました。
遊郭内に逃げ場を失った女性たちは火を避けるために弁天池(花園池)に飛び込みました。その結果、490 人もの女性が亡くなったと伝えられています。
この女性たちを供養するために建てられたのが吉原観音像です。
お穴さま

吉原神社の拝殿の隣にはお穴さまと呼ばれる境内社があります。お穴さまは地中の神さまで、この吉原神社の土地を守護しています。心を込めてお穴さまにお参りすると必ず福が得られるといわれています。
逢初桜(あいぞめざくら)

吉原神社の入り口左側には逢初桜とよばれる桜の木が植えられています。逢初とは、恋い焦がれる人との出会いを意味します。
もともとは吉原遊郭の唯一の出入り口である吉原大門の近くに植えられていました。江戸時代から男性客はこの桜の木にすてきな出会いを祈願して遊郭に入っていたとのこと。
残念なことに当時の逢初桜は 1911 年(明治 44 年)の吉原大火で焼失しました。現在の逢初桜は 2013 年(平成 25 年)に新たに植樹されたしだれ桜です。
浅草名所七福神(弁財天)
吉原神社の弁財天は、浅草名所七福神 (あさくさなどころしちふくじん) の 1 柱(はしら)です。浅草名所七福神とは、東京都の台東区と荒川区にある 9 つの社寺に祀られている七福神のことです。
浅草名所七福神めぐりは、おすすめの浅草観光の 1 つです。通常、七福神めぐりは正月に行いますが、浅草名所七福神めぐりはいつでも楽しむことができます。
浅草名所七福神の詳細については、つぎの記事を参照してください。
各種情報
社務所の受付時間
- 午前 9 時 30 分から午後 4 時 30 分まで
電話番号
- 03-3872-5966(千束稲荷神社の電話番号)
千束稲荷神社(せんぞく いなり じんじゃ)は、吉原神社の兼務神社です。千束神社でも吉原神社のご朱印をもらうことができます。
住所
- 〒111-0031 東京都 台東区 千束 3-20-2
地図
アクセス(電車)
- 日比谷線の 三ノ輪駅(1b 出口)から徒歩 12 分
- 日比谷線の 入谷駅(3 番出口)から徒歩 12 分
アクセス(めぐりんバス)
- 北めぐりん(根岸まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:1 番)から徒歩 2 分
- 北めぐりん(浅草まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:17 番)から徒歩 2 分
- 南めぐりんの 台東病院 停留所(停留所の番号:28 番)から徒歩 2 分
めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。
アクセス(都営バス)
- 都営バス(草 43)の 竜泉 停留所 から徒歩 4 分
- 都営バス(草 63)の 竜泉 停留所 から徒歩 4 分
- 都営バス(都 08)の 竜泉 停留所 から徒歩 4 分
- 都営バス(上 46)の 吉原大門 停留所 から徒歩 6 分
- 都営バス(草 64)の 吉原大門 停留所 から徒歩 6 分
公衆トイレの有無
- なし(近所の花園公園に公衆トイレがあります)