当ブログの「神社と寺院」カテゴリでは、東京下町にある社寺をわかりやすく紹介しています。毎回、あなたの東京観光におすすめの社寺を 1 つ取り上げます。
今回の記事では、台東区にある 浅草神社(あさくさ じんじゃ)を取り上げます。
浅草神社のすぐ隣には、東京で一番古い寺院である 浅草寺(せんそうじ)があります。浅草神社と浅草寺は、もともと 1 つでした。そのため、この 2 つの社寺はとても深い繋がりがあります。
浅草神社の主祭神は、三社権現(さんじゃ ごんげん)です。そのため、昔から浅草神社を「三社さま」と呼びます。なお、三社権現は、浅草寺の創建のきっかけとなった 3 人を神格化したものです。
浅草神社は、毎年 5 月に「三社祭(さんじゃ まつり)」という、例大祭を行います。この祭は江戸三大祭りの 1 つです。三社祭には、毎年 200 万人以上の人出があります。
この記事では、歴史、見どころ、アクセスなど、浅草神社のお役立ち情報を紹介します。あなたが東京下町めぐりや浅草観光をする際の参考にしてください。
なお、この記事は英語版もあります。詳細については、つぎの記事を参照してください。
由緒(歴史)

浅草神社によると、この神社の始まりは 7 世紀にまでさかのぼります。また、その歴史は、浅草神社の隣りにある 浅草寺(せんそうじ)と密接な関係があります。
7 世紀の初めごろ、檜前浜成(ひのくま の はまなり)と 檜前武成(ひのくま の たけなり)という、漁師の兄弟がいました。
628 年(推古 36 年)の 3 月 18 日、檜前兄弟は隅田川で漁をしていました。その際、彼らは投網の中に仏像を見つけたのです。しかし、檜前兄弟はその仏像が何なのかわかりませんでした。
檜前兄弟は、浅草の郷士(ごうし)である 土師真中知(はじ の まなかち)にその仏像を見せました。その結果、この仏像は 聖観音菩薩(しょう かんのん ぼさつ)であることがわかりました。
慈悲の仏さまである観音菩薩は、多くの人びとの苦しみや願いを聞くため、相手に応じていろいろな姿に変化(へんげ)するといわれています。聖観音菩薩は、観音菩薩が変化する前の姿です。
檜前兄弟と地元の人たちは簡素な仏堂を作り、そこに聖観音菩薩の像を祀りました。
その後、土師真中知は出家し、自宅を寺院としました。そして、檜前兄弟が見つけた聖観音菩薩の像を本尊としてその寺院に祀りました。これが浅草寺の始まりです。
平安時代の終わりから鎌倉時代の初めごろ、土師真中知の子孫は、聖観音菩薩のお告げを受けました。そのお告げの主な内容は、つぎのとおりです。
- あなたたちの祖先は、私(聖観音菩薩)を水中から救い出した
- さらには、彼らは私を浅草寺に祀った
- 彼らの功績は称賛に値する
- だから、彼らを浅草寺の隣に 三社権現(さんじゃ ごんげん)という神として祀りなさい
- そうすれば、あなたたちやこの地域はずっと繁栄するでしょう
土師真中知と檜前兄弟の子孫たちは、自分たちの先祖の 3 人を郷土神(その土地の守り神)として祀りました。これが浅草神社の始まりです。当時は、三社権現社(さんじゃ ごんげん しゃ)という名前でした。
なお、三社権現の「三」は「土師真中知と檜前兄弟の 3 人」、「社」は「その土地を守る神さま」、そして、「権現」は「神さまの尊号」です。
1868 年(明治元年)、明治政府は 神仏分離令(しんぶつ ぶんり れい)を発令しました。これは、神道と仏教、神さまと仏さま、そして神社と寺院を明確に区別する法律です。
同年、三社権現社は浅草寺から独立しました。その際、三社権現社は名前を 三社明神社(さんじゃ みょうじんしゃ)に変更しました。1873 年(明治 6 年)、三社明神社は、名前を浅草神社に変更しました。
祀られている神さまとご神徳(ご利益)
三社権現(さんじゃ ごんげん)
浅草神社の主祭神は、三社権現(さんじゃ ごんげん)です。三社権現は、浅草神社と浅草寺の始まりとなった、つぎの 3 人を郷土神として祀ったものです。
- 檜前浜成(ひのくま はまなり)
- 檜前武成(ひのくま たけなり)
- 土師真中知(はじ まなかち)
東照宮(とうしょうぐう)
浅草神社は、相殿神(主祭神と一緒に祀られている神さま)として東照宮(とうしょうぐう)を祀っています。東照宮は、東照大権現(とうしょう だいごんげん)とも呼ばれます。
東照宮は、江戸幕府の初代将軍である徳川家康(とくがわ いえやす)のことです。浅草神社によると、浅草神社が東照宮を祀るようになったのは 1649 年(慶安 2 年)です。
東照宮は、国家鎮護(国家を守り、安定させる)の神さまです。主なご神徳(ご利益)は、仕事運上昇、商売繁盛、家内安全、心願成就(神仏に強く願えば何でも叶う)、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
大国主命(おおくにぬし の みこと)
大国主命(おおくにぬし の みこと)も浅草神社の相殿神です。大国主命は、大己貴命(おおなむち の みこと)とも呼ばれます。
因幡の白兎の話で、ウサギを助けた(治療のアドバイスを与えた)のが大国主命(当時の名前は大己貴命)です。そのため、大国主命は医薬の神さまとしてもみなされるようになりました。
大国主命は、国造り、医薬、縁結びの神さまです。主なご神徳(ご利益)は、商売繁盛、病気平癒、夫婦和合、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
恵比寿天(えびすてん)
恵比寿天(えびすてん)は、浅草神社の相殿神です。恵比寿天は飛鳥大神(あすか おおかみ)や事代主神(ことしろぬし の かみ)とも呼ばれます。
恵比寿天は漁業と商売の神さまです。主なご神徳(ご利益)は、大漁追福、商売繁盛、家内安全、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
倉稲魂命(うか の みたま の みこと)
浅草神社の境内社(境内にある小さな神社)の被官稲荷神社は、倉稲魂命(うか の みたま の みこと)を祀っています。この神さまは稲荷神(いなりしん)とも呼ばれます。
倉稲魂命は、穀物と農業の神さまです。主なご神徳(ご利益)は、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸事上達、その他です。
この神さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。
見どころ
社殿

浅草神社の社殿は、1649 年(慶安 2 年)に江戸幕府の第三代将軍である徳川光公(とくがわ いえみつ)が建てたものです。
この社殿は、権現造り(ごんげん づくり)と呼ばれる建物です。その特徴は、本殿(神さまを祀るための建物)、幣殿(儀式を行うための建物)、および拝殿(参拝するための建物)が渡り廊下で繋がっていることです。権現造りは、江戸時代の初期の代表的な神社の建築様式です。
社殿の外壁は漆で塗装されており、さらに麒麟や飛龍などの霊獣が色鮮やかに描かれています。社殿は経年劣化が目立ってきていたため、1961 年(昭和 36 年)と 1994 年(平成 6 年)にそれぞれ 3 年かけて修営されています。
浅草神社の社殿は度重なる災害や戦争の被害を免れ、現在も当時の面影をそのままに残しています。そのため、1951 年(昭和 26 年)に国の重要文化財に指定されています。
三社祭
三社祭(さんじゃ まつり)は、毎年 5 月の第 3 週に行われる浅草神社の例大祭です。正式名称は浅草神社例大祭ですが、三社祭の名前で親しまれています。
三社祭は 1312 年(正和元年)に始まったと伝えられています。日枝神社の山王祭、神田神社の神田祭とともに、三社祭は江戸三大祭のひとつに数えられます。
神輿渡御(みこしとぎょ)を中心に 3 日間に渡って行われ、祭の期間中は浅草一帯が 1 年でもっとも活気づくといわれており、ウィキペディアによると 200 万人を超える人出を数えるとのことです。
残念なことに昨年からの新型コロナ ウィルスの影響で 2020 年(令和 2 年)と 2021 年(令和 3 年)の三社祭は規模が大幅縮小されています。
被官稲荷神社(ひかん いなり じんじゃ)

被官稲荷神社(ひかん いなり じんじゃ)は、浅草神社の境内社(境内にある小さな神社)です。この神社の場所は浅草神社の社殿の右奥です。
被官稲荷神社の創建には、浅草の町火消の親分である新門辰五郎が深く関わっています。また、稲荷神社らしく、境内にはたくさんの愛らしい狐たちが祀られています。
この神社の詳細については、つぎの記事を参照してください。
浅草富士浅間神社(あさくさ ふじ せんげん じんじゃ)

浅草富士浅間神社(あさくさ ふじ せんげん じんじゃ)は、浅草神社の兼務社(けんむしゃ)です。つまり、浅草神社の宮司が浅草富士浅間神社の宮司を兼ねています。
浅草富士浅間神社は、富士山を象徴する神さまである、木花開耶姫命(このはな さくやひめ の みこと)を祀っています。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、火難除け、安産、子授け、その他です。
この神社の詳細については、つぎの記事を参照してください。
浅草名所七福神(恵比寿天)
浅草神社の恵比寿天は、浅草名所七福神(あさくさ などころ しちふくじん)の 1 柱(はしら)に数えられています。浅草名所七福神とは、東京都の台東区と荒川区にある 9 つの社寺に祀られている七福神のことです。
浅草名所七福神めぐりは、おすすめの浅草観光の 1 つです。通常、七福神めぐりは正月に行いますが、浅草名所七福神めぐりはいつでも楽しむことができます。
浅草名所七福神の詳細については、つぎの記事を参照してください。
浅草廿日戎
浅草神社の 浅草廿日戎(あさくさ はつか えびす)は、その年の最初の恵比寿天の縁日です。この日に恵比寿天をお参りすると、特にご利益があるといわれています。
浅草廿日戎は 1 月 19 日と 20 日の 2 日間にわたって開催されます。これは、関東では 1 月 20 日が恵比寿天の縁日とされているためです。浅草廿日戎の名前もこの縁日(20 日)に由来します。
浅草廿日戎の詳細については、つぎの記事を参照してください。
各種情報
社務所の受付時間
- 午前 9 時から午後 4 時まで
電話番号
- 03-3844-1575
住所
- 〒111-0032 東京都 台東区 浅草 2-3-1
地図
アクセス(電車)
- 銀座線の 浅草駅(1 番出口)から徒歩 7 分
- 浅草線の 浅草駅(A4 出口)から徒歩 7 分
- 東武伊勢崎線(東武スカイツリー ライン)の 浅草駅(北改札口)から徒歩 7 分
- つくばエクスプレス線の 浅草駅(A1 出口)から徒歩 10 分
アクセス(めぐりんバス)
- 北めぐりん(浅草まわり)の 浅草寺北 停留所(停留所の番号:22 番)から徒歩 2 分
- 北めぐりん(浅草まわり)の 二天門 停留所(停留所の番号:23 番)から徒歩 2 分
- 東西めぐりんの 雷門通り 停留所(停留所の番号:31 番)から徒歩 7 分
- 東西めぐりんの 雷門前 停留所(停留所の番号:33 番)から徒歩 7 分
- ぐるーりめぐりんの 浅草雷門 停留所(停留所の番号:17-2 番)から徒歩 7 分
めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。
アクセス(都営バス)
- 都営バス(草 43)の 浅草雷門 停留所 から徒歩 5 分
- 都営バス(草 24)の 浅草雷門 停留所 から徒歩 5 分
- 都営バス(草 42-3)の 浅草雷門 停留所 から徒歩 5 分
- 都営バス(草 64)の 浅草雷門 停留所 から徒歩 5 分
- 都営バス(草 64)の 二天門 停留所 から徒歩 1 分
- 都営バス(上 26)の 浅草二丁目 停留所 から徒歩 2 分
- 都営バス(都 08)の 浅草二丁目 停留所 から徒歩 2 分
二天門 停留所は浅草神社の横、浅草二丁目 停留所は浅草寺の裏にあります。また、雷門 停留所は浅草文化観光センターの横にあります。
公衆トイレの有無
- なし(隣接する浅草寺に公衆トイレがあります)
関連する記事
参考
- 浅草神社の公式サイト
- 東京都農業協同組合中央会の公式サイトの記事「東京農業歴史めぐり」