浄閑寺(東京・荒川区)

浄閑寺(東京・荒川区) 神社と寺院
浄閑寺(東京・荒川区)

この記事では、浄閑寺(じょうかんじ)を紹介します。

浄閑寺は、東京の荒川区 南千住にある、浄土宗(じょうどしゅう)の寺院です。正式名称は、栄法山 浄閑寺(えいほうざん じょうかんじ)です。

この寺院は、日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)から徒歩 2 分くらいの場所にあります。都電荒川線(東京さくらトラム)の三ノ輪橋 停留場からは徒歩 5 分くらいです。

浄閑寺の本尊は、死後の平安を約束する仏さまである、阿弥陀如来(あみだ にょらい)です。この仏さまの主なご利益は、極楽往生、現世安穏、その他です。

浄閑寺は、投込寺(なげこみでら)とも呼ばれています。これは、近所にあった吉原遊郭で亡くなった遊女たちが、投げ捨てられるようにこの寺院に葬られたことに由来します。

由緒(歴史)

浄閑寺によると、この寺院の始まりは 17 世紀にまでさかのぼります。

1655 年(明暦元年)、天蓮社 晴誉 順波 和尚が浄閑寺を建てました。順波(じゅんは?)が浄閑寺を建てた経緯は不明です。

「蓮社(れんしゃ)」は法号(ほうごう)、そして、「誉(よ)」は道号(どうごう)です。法号と誉号は、どちらも浄土宗の戒名で使われる単位です。

1656 年(明暦 2 年)、徳川幕府は、吉原遊廓に移転を命じました。1657 年(明暦 3 年)、吉原遊廓は、日本橋から日本堤(にほんづつみ)に移転しました。日本堤は、浄閑寺から徒歩 10 分くらいの場所です。

徳川幕府が吉原遊廓を移転した理由は、大きく 2 つあります。

1 つ目の理由は、江戸の街が大きく発展したためです。日本橋の吉原遊郭は江戸の外れにありましたが、次第に江戸の市中になりました。そのため、徳川幕府は市中の治安を心配したのです。

2 つ目の理由は、1657 年(明暦 3 年)の初めに明暦の大火(めいれき の たいか)が起きたためです。この火災により、江戸の大半が焼失しました。この火災は振袖火事(ふりそでかじ)ともいいます。

なお、日本橋にあった吉原遊郭を元吉原(もとよしわら)、そして、日本堤の吉原遊郭を新吉原(しんよしわら)と呼びます。

安政年間(1850 年代)、日本各地で大地震が続発しました。この一連の地震を安政の大地震(あんせい の おおじしん)といいます。

安政の大地震の 1 つに 1855 年(安政 2 年)に発生した安政江戸地震(あんせい えど じしん)があります。この地震により、江戸の下町は大きな被害を受けました。

安政江戸地震により、江戸の各地で大火災が起こりました。新吉原も延焼した地区の 1 つです。そして、新吉原で働く数多くの遊女が亡くなりました。

安政江戸地震で亡くなった新吉原の遊女たちは、投げ捨てられるように新吉原の近所の浄閑寺に葬られました。このため、浄閑寺は投込寺(なげこみでら)と呼ばれるようになりました。

仏さまとご利益

阿弥陀如来(あみだ にょらい)

浄閑寺の本尊は、阿弥陀如来(あみだ にょらい)です。

阿弥陀如来は、死後の平安を約束する仏さまです。この仏さまの主なご利益は、極楽往生(極楽浄土に生まれ変わる)、現世安穏(安穏に生活できる)、その他です。

この仏さまの詳細については、つぎの記事を参照してください。

見どころ

新吉原総霊塔(しんよしわら そうれいとう)

浄閑寺の新吉原総霊塔(東京・荒川区)
浄閑寺の新吉原総霊塔(東京・荒川区)

浄閑寺には、新吉原総霊塔(しんよしわら そうれいとう)があります。この供養塔は、1793 年(寛政 5 年)に建てられた供養塚を 1929 年(昭和 4 年)に立て直したものです。

新吉原総霊塔は、もともと 1855 年(安政 2 年)の安政江戸地震で亡くなった新吉原の遊女を供養していました。その数は 500 人以上にもおよびます。

現在、この供養塔は、新吉原の創業から廃業までの 380 年間に浄閑寺に葬られた遊郭関係者を供養しています。それ以外にも、この供養塔は、安政江戸地震や関東大震災で亡くなった人を供養しています。

浄閑寺によると、新吉原総霊塔は 25,000 人以上の人たちを供養しているとのことです。

花又花酔(はなまた かすい)の川柳

浄閑寺の花又花酔句壁(東京・荒川区)
浄閑寺の花又花酔の句壁(東京・荒川区)

新吉原総霊塔の壁には、花又花酔(はなまた かすい)の川柳が刻まれています。花又花酔は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した川柳作家です。

花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」は、新吉原の遊女の悲哀を表わしています。

その意味は、「貧しい家に生まれただけでなく、その後の人生はとても辛いものだった。死後も行き場がなく、投込寺に無縁仏として葬られた」といったところでしょうか。

若紫(わかむらさき)の墓

浄閑寺の若紫の墓(東京・荒川区)
浄閑寺の若紫の墓(東京・荒川区)

浄閑寺の中門をくぐったところに若紫(わかむらさき)の墓があります。若紫は、明治時代の花魁(おいらん)です。花魁とは、吉原遊郭で最も格の高い遊女のことです。

若紫の墓が建てられるきっかけとしてとても悲しい話があります。

若紫は、とても美しく、教養が高く、性格も優しい女性でした。そのため、源氏物語の紫の上 ( むらさきのうえ )にちなんで若紫の名前が付けられました。

また、若紫が働いていた角海老楼(かどえびろう)は、当時の新吉原で随一の格式が高い見世(みせ)の 1 つでした。ウィキペディアによると、歴代の総理大臣がこの見世に遊びに来ていたとのことです。

若紫はとても人気があったため、一般の遊女よりも短い期間で吉原遊郭を去ることになりました。その後は、かねてから交際していた恋人と結婚する予定でした。

若紫が吉原遊郭を去る 5 日前、1 人の男が吉原遊郭にやってきました。彼はある遊女が好きになり、その遊女と無理心中を図ろうと思っていたのです。しかし、彼はその遊女が他の客を取っていたのです。

自棄になった男が角海老楼に目をやると、若紫が見世の中を歩いていました。男は若紫に近づくと、彼女の首を小刀で切りつけました。それが原因で若紫は 22 才で亡くなりました。

若紫を哀れに思った人たちは、浄閑寺に彼女の墓を建てました。1903 年(明治 36 年)のことです。

ひまわり地蔵

浄閑寺のひまわり地蔵(東京・荒川区)
浄閑寺のひまわり地蔵(東京・荒川区)

新吉原総霊塔の正面には、ひまわり地蔵があります。その名のとおり、ひまわりを手にした地蔵菩薩です。

浄閑寺の近所には、新吉原だけでなく、山谷(さんや)と呼ばれる地域がありました。山谷は貧しい日雇い労働者が集まっていました。

山谷で暮らす人たちの中には、ひとり寂しく人生を終える人も多くいました。そんな人たちの死後の安らぎのために建てられたのが、浄閑寺のひまわり地蔵です。

浄閑寺によると、ひまわり地蔵が手に持つひまわりの花は、太陽の下で一生を働きぬいた日雇労働者のシンボルとのことです。

永井荷風(ながい かふう)の筆塚

浄閑寺の荷風の花畳型筆塚(東京・荒川区)
浄閑寺の荷風の花畳型筆塚(東京・荒川区)

ひまわり地蔵の隣には、永井荷風(ながい かふう)の筆塚があります。

永井荷風は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した小説家です。彼は、墨田区や台東区を舞台にした小説をいくつも発表しています。

永井荷風は、浄閑寺を好んで訪れていました。ウィキペディアによると、彼は自分も浄閑寺に葬られたいと希望していたとのこと。しかし、彼のその願いは叶えられませんでした。

永井荷風の死後、彼の友人と浄閑寺は、彼を偲ぶための筆塚を建てました。1963 年(昭和 38 年)のことです。なお、この筆塚には、永井荷風の歯が 2 枚と愛用の小筆が 1 本納められています。

浄閑寺は、毎年 4 月 30 日に荷風忌(かふうき)を行っています。これは、永井荷風の命日に行われる法要と記念講演です。

永井荷風の筆塚の側面の壁には歌碑があります。この歌碑には、永井荷風の詩集「偏奇館吟草(へんきかん ぎんそう)」の「震災」の詩が刻まれています。

各種情報

寺務所の受付時間

  • 3 月から 11 月まで:午前 9 時から午後 5 時まで
  • 12 月から 2 月まで:午前 9 時から午後 4 時 30 分まで

電話番号

  • 03-3801-6870

住所

  • 〒116-0003 東京都 荒川区 南千住 2−1−12

地図

アクセス(電車)

  • 日比谷線の 三ノ輪駅(3 番出口)から徒歩 2 分
  • 都電荒川線(東京さくらトラム)の 三ノ輪橋 停留場 から徒歩 5 分

アクセス(めぐりんバス)

  • 北めぐりん(浅草まわり)の 三ノ輪駅 停留所(停留所の番号:14 番)から徒歩 2 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 三ノ輪駅 停留所(停留所の番号:5 番)から徒歩 2 分
  • ぐるーりめぐりんの 三ノ輪駅 停留所(停留所の番号:6 番)から徒歩 2 分

めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。

北めぐりん(浅草まわり)、北めぐりん(根岸まわり)、そして、ぐるーりめぐりんの停留所(乗り場)の詳細については、つぎの記事を参照してください。

アクセス(都営バス)

  • 都営バス(草 43)の 三ノ輪駅前 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(草 63)の 三ノ輪駅前 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(草 63)の 大関横丁 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(草 64)の 三ノ輪二丁目 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(草 64)の 大関横丁 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(里 22)の 三ノ輪二丁目 停留所 から徒歩 5 分
  • 都営バス(里 22)の 大関横丁 停留所 から徒歩 5 分

公衆トイレの有無

  • 未確認(浄閑寺の前に三ノ輪二丁目 公衆トイレがあります)
タイトルとURLをコピーしました