完全ガイド:長國寺(東京・台東区)

長國寺(東京・台東区) 神社と寺院
長國寺(東京・台東区)

東京下町ガイド の「神社と寺院」カテゴリでは、東京下町にある社寺をわかりやすく紹介しています。毎回、あなたの東京観光におすすめの社寺を 1 つ取り上げます。

今回の記事では、長國寺(ちょうこくじ)を紹介します。長國寺は、台東区にある 法華宗 本門流(ほっけしゅう ほんもんりゅう)の寺院です。

本尊の 十界曼荼羅(じっかい まんだら)の他に、長國寺は 鷲妙見大菩薩(わし みょうけん だいぼさつ)を祀っています。この仏さまは、鷲大明神(わし だいみょうじん)や おとりさま とも呼ばれます。

長國寺の正式名称は、鷲在山 長國寺(じゅざいさん ちょうこくじ)です。しかし、鷲妙見大菩薩を祀っていることから、地元の人びとは、この寺院を 浅草 酉の寺おとりさま とも呼びます。

長國寺のすぐ近所には 鷲神社(おおとり じんじゃ)があります。長國寺と鷲神社は、もともと 1 つでした。明治政府が 神仏分離令(しんぶつ ぶんり れい)を施行したため、鷲神社は長國寺から独立しました。

長國寺と鷲神社は、毎年 11 月に共同で 浅草 酉の市(あさくさ とりのいち)を開いています。これは、日本で最大規模の酉の市です。また、浅草 酉の市は、浅草エリアの年末の風物詩でもあります。

今回の記事では、長國寺に関する以下の内容をやさしく解説します。

  • 歴史
  • 祀られている神さま
  • 見どころ
  • アクセス方法
  • その他

この記事を読むことで、長國寺についてより深く理解できます。長國寺を訪れる際は、ぜひこの記事を参考にしてください。

この記事には英語版もあります。詳細については、次の記事を参照してください。

由緒(歴史)

長國寺によると、この寺院の始まりは 17 世紀にまでさかのぼります。そして、その歴史は近所にある鷲神社と深い関係があります。

その昔、長國山 鷲山寺(ちょうこくざん じゅせんじ)に 日乾(にちけん)という僧侶がいました。鷲山寺は、千葉県の茂原 鷲巣(わしのす)にある、法華宗 本門流の大本山の寺院です。

日乾は、 鷲山寺の第 13 代住職です。また、彼は、安土桃山時代の大名である 石田三成(いしだ みつなり)の子どもといわれています。

1630 年(寛永 7 年)、日乾は、浅草 鳥越町(あさくさ とりこえちょう)に長國寺を建てました。浅草 鳥越町は江戸時代の地名で、後に浅草 元鳥越町と改名されました。現在の台東区 鳥越 2 丁目あたりです。

1669 年(寛文 9 年)、長國寺は現在地に移転しました。長國寺によると、移転には 坂本伝衛門(さかもと でんえもん)の支援があったとされています。なお、坂本伝衛門の詳細は不明です。

1771 年(明和 8 年)、長國寺の第 13 代住職である 日玄(にちげん)は、鷲山寺から長國寺に 鷲妙見大菩薩(わし みょうけん だいぼさつ)を勧請(かんじょう)しました。

鷲妙見大菩薩は、剣を持って鷲の背に乗った 妙見菩薩(みょうけん ぼさつ)です。妙見菩薩は、北極星や北斗七星を神格化した存在です。

勧請にはいろいろな意味があります。この場合の勧請とは、神さまや仏さまの分霊(ぶんれい)を他の場所で祀ることです。分霊しても元の神さまや仏さまに影響はないとされています。

鷲妙見大菩薩は、おとりさま鷲大明神(わし だいみょうじん)とも呼ばれます。

当時、長國寺は、境内の 番神堂(ばんじんどう)に鷲妙見大菩薩を祀っていました。そのため、番神堂は 鷲大明神の社(わし だいみょうじん の やしろ)や 鷲の宮(わし の みや)とも呼ばれていました。

「社(やしろ)」も「宮」も神社を指すときに使う言葉です。したがって、番神堂は、長國寺が管理する神社だったと考えられます。

1868 年(明治元年)、明治政府は 神仏分離令(しんぶつ ぶんり れい)を発令しました。これは、神道と仏教、神さまと仏さま、そして神社と寺院を明確に区別する法律です。

神仏分離令により、寺院である長國寺は、神社としての番神堂を管理することができなくなりました。そのため、番神堂は長國寺から独立し、鷲神社(おおとり じんじゃ)になりました。これも 1868 年(明治元年)のことです。

なお、長國寺は今でも鷲妙見大菩薩を祀っています。鷲神社の主祭神は、神道の神さまの 天日鷲神(あめ の ひわし の かみ)です。天日鷲神も おとりさま の名前で知られています。

鷲神社の詳細については、つぎの記事を参照してください。

仏さまとご利益

十界曼荼羅

長國寺の本尊は、十界曼荼羅(じっかい まんだら)です。

一般に、法華宗(ほっけしゅう)と 日蓮宗(にちれんしゅう)は、十界曼荼羅を本尊としています。どちらの宗派も、13 世紀の僧侶である 日蓮(にちれん)の教えを説く宗派です。

十界曼荼羅は、中央に「南妙法蓮華経(なむ みょうほうれんげきょう)」の文字が書かれています。そして、その題目の周りに仏さまの名前や 十界(じっかい)の名前が書かれています。

南妙法蓮華経は、「法蓮華経(ほうれんげきょう)を信じて従う」の意味です。法蓮華経は、仏教の経典の 1 つです。法華経(ほけきょう)とも呼ばれています。

十界は、仏教の世界を以下の 10 の階層に分けたものです。

  • 仏界(ぶっかい)
  • 菩薩界(ぼさつかい)
  • 緑覚界(えんがくかい)
  • 声聞界(しょうもんかい)
  • 天界(てんかい)
  • 人界(にんかい)
  • 修羅界(しゅらかい)
  • 畜生界(ちくしょうかい)
  • 餓鬼界(がきかい)
  • 地獄界(じごくかい)

鷲妙見大菩薩

長國寺では、鷲妙見大菩薩(わし みょうけん だいぼさつ)を祀っています。

鷲妙見大菩薩は、妙見菩薩(みょうけん ぼさつ)が変化(へんげ)した姿です。鷲妙見大菩薩は、剣を持って鷲の背に乗っています。そのため、鷲大明神(わし だいみょうじん)や おとりさま とも呼ばれます。

妙見菩薩は、北極星と北斗七星を仏格化した存在です。昔の人びとは北極星は宇宙の中心であり、星々のなかで最高位にあると考えました。

長國寺の鷲妙見大菩薩は、破軍星(はぐんせい)を戴いて現れた妙見大菩薩といわれています。破軍星は、北斗七星の柄先の星(おおぐま座のイータ星)の中国名です。

昔の人びとは、破軍星を 武運長久(ぶうん ちょうきゅう)の守り神と考えました。武運長久とは、戦いでの幸運が長く続くことです。

彼らは破軍星を剣先に見立て、その方向を不吉な方角と考えたのです。そして、その方向を向かって勝負や戦いに挑むと負けないとも考えました。

このことから、鷲妙見大菩薩は人びとを良い方向に導く仏さまと考えられています。長國寺では、鷲妙見大菩薩を 開運幸福(かいうん こうふく)の守り本尊としています。

見どころ

浅草酉の市

浅草酉の市(東京・台東区)
浅草酉の市(東京・台東区)

浅草酉の市(あさくさ とりのいち)は、長國寺と鷲神社が共同で開催する例大祭です。この例大祭は、江戸時代から続く、浅草の年末の風物詩です。

浅草酉の市の目的は、つぎのとおりです。

  • 神さまに今年一年の無事を報告する
  • 来年の幸運と商売繁盛を祈願する

浅草酉の市は、毎年 11 月の酉の日に行われます。その理由は、法華宗の開祖である日蓮が関係しています。

日蓮が鷲山寺で 国家平穏(こっか へいおん)を祈っていたところ、彼の前に鷲妙見大菩薩が現れたとのこと。それが 11 月の酉の日だったとのことです。

浅草酉の市は、日本最大の規模を誇る酉の市です。ウィキペディアによると、この酉の市には毎年 70 万人から 80 万人の人出があるとのことです。

浅草酉の市が人気になった理由は、大きく 2 つあります。

  • 長國寺は浅草から近かったこと
  • 近所に 吉原遊郭(よしわら ゆうかく)があったこと

江戸時代、浅草はすでに有数の歓楽街でした。また、長國寺は、浅草や浅草寺から徒歩 10 分ほどの場所にあります。したがって、多くの人たちが浅草から歩いて浅草 酉の市へ向かいました。

吉原遊郭は、かつて長國寺の近所にあった、日本最大の 遊郭(ゆうかく)です。遊郭は、男性が女性にお金を払って楽しい時間を過ごす場所です。また、吉原遊郭を 新吉原(しんよしわら)と呼ぶこともあります。

吉原遊郭は高い塀で囲まれており、さらにその外側は お歯黒どぶ に囲まれていました。お歯黒どぶは幅 9m くらいの堀です。これらは、吉原遊郭で働く女の人が逃げられないようにする仕組みです。

普段、吉原遊郭の出入り口は 吉原大門(よしわら おおもん)のみでした。長國寺は吉原遊廓の近所ですが、吉原大門は長國寺からは不便な場所にありました。

しかし、浅草酉の市の日、吉原遊郭はお歯黒どぶに跳ね橋をかけました。これにより、遠回りをしなくても長國寺から吉原遊郭に行くことができました。そのため、浅草酉の市の帰りに吉原遊廓で遊ぶ人たちが多かったとのことです。

浅草酉の市の詳細については、次の記事を参照してください。

吉原遊廓の詳細については、次の記事を参照してください。

いきいき浅草あじさい祭

長国寺のあじさい祭(東京・台東区)
長国寺のあじさい祭(東京・台東区)

長國寺は、毎年 6 月に あじさい祭 を開催しています。この祭は 夏のお酉さま とも呼ばれます。

奥浅草観光協会によると、長國寺のあじさい祭の始まりは江戸時代の後期です。

ある年の夏、流行り病が蔓延しました。そこで、江戸幕府は長國寺に悪病退散の祈願をお願いしたのです。その甲斐もあり、流行り病は収まりました。

これをきっかけとして、長國寺では夏に門前市が開かれるようになりました。これが現在のあじさい祭です。

長國寺のあじさい祭では、全国から集められたさまざまな品種のあじさいを楽しむことができます。公式サイトによると、2021 年(令和 3 年)の祭では 100 種類のあじさいが集結しました。

この祭では、籠(かご)あじさい を買うことができます。これは、竹製の釣りかごに入ったあじさいの鉢植えのことです。籠あじさいを買うことができるのは、この祭のみとのことです。

いきいき浅草あじさい祭りの詳細については、次の記事を参照してください。

花手水

長國寺(東京・台東区)
長國寺(東京・台東区)

浅草酉の市の際、長國寺の 手水舎(ちょうずや)は、季節の花が参拝する人を歓迎しています。手水舎とは、参拝する前に手や口を清める施設のことです。手水舎は「てみずや」と読む場合もあります。

花手水(はな ちょうず)の本来の意味は、屋外での神事の際に花や草についた露(つゆ)で手や口を清めることです。しかし、最近は手水舎の水に色鮮やかな花を浮かべたものを花手水と呼ぶようになっています。

各種情報

寺務所の受付時間

  • 午前 8 時から午後 5 時まで

電話番号

  • 03-3872-1667

住所

  • 〒111-0031 東京都 台東区 千束 3-19-6

地図

アクセス(電車)

  • 日比谷線の 入谷駅(3 番出口)から徒歩 8 分
  • 日比谷線の 三ノ輪駅(1b 出口)から徒歩 7 分
  • つくばエクスプレス線の 浅草駅(A1 出口)から徒歩 11 分

アクセス(めぐりんバス)

  • 北めぐりん(浅草まわり)の 一葉記念会館入口 停留所(停留所の番号:15 番)から徒歩 2 分
  • 北めぐりん(浅草まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:17 番)から徒歩 5 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 一葉記念会館入口 停留所(停留所の番号:6 番)から徒歩 2 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:1 番)から徒歩 5 分
  • 南めぐりんの 台東病院 停留所(停留所の番号:28 番)から徒歩 5 分

めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。

北めぐりん(浅草まわり)、北めぐりん(根岸まわり)、そして、南めぐりんの停留所(乗り場)の詳細については、つぎの記事を参照してください。

アクセス(都営バス)

  • 都営バス(都 08)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(都 08)の 千束 停留所 から徒歩 4 分
  • 都営バス(草 43)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 43)の 千束 停留所 から徒歩 4 分
  • 都営バス(草 63)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 63)の 千束 停留所 から徒歩 4 分

公衆トイレの有無

  • 不明

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参考

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