東京下町めぐり:新吉原(吉原遊廓)ゆかりの地を訪れる

吉原弁財天の奥宮(東京・台東区) 東京下町めぐり
吉原弁財天の奥宮(東京・台東区)

東京下町めぐり は、東京の下町観光のおすすめを紹介するシリーズです。 毎回テーマを 1 つ選び、ガイドなしでも気軽に楽しめるツアーの一例を提案します。

あなたが東京を観光で訪れる場合、東京下町めぐりをぜひお読みください。 あなたの東京観光のお役にたつでしょう。

今回のテーマは 新吉原(しんよしわら)です。新吉原は、1957 年まで浅草の近くに存在した、日本最大の遊郭(ゆうかく)です。新吉原は 吉原遊廓 や単に 吉原 と呼ぶ場合もあります。

新吉原は単なる花街ではなく、上流階級や文化人の社交の場でもありました。そのため、当時の文化の最先端の場所でした。

新吉原の名前をすでにご存じの方も多いかもしれません。マンガ「鬼滅の刃」の遊郭編の舞台となったのが新吉原です。

今回、私たちが歩く時間の目安は 1 時間ほどです。途中、風俗店が軒を連ねている地域を通ります。そのため、今回の東京下町めぐりはお昼の時間帯がおすすめです。

このブログ記事では、新吉原ゆかりの地を数多く取り上げています。あなたが東京下町めぐりをする際の参考にしてください。

なお、この記事は英語版もあります。詳細については、つぎの記事を参照してください。

ツアーの概要

今回の東京下町めぐりでは、新吉原(しんよしわら)ゆかりの地を歩きます。新吉原は、1957 年まで浅草の近くに存在した、日本最大の遊郭(ゆうかく)です。吉原遊廓や単に吉原と呼ぶ場合もあります。

今回のツアーの途中、つぎの場所を訪れます。

  • 投込寺
  • 大正時代の三大楼の跡地
  • 吉原神社(よしわら じんじゃ)
  • 吉原弁財天(よしわら べんざいてん)
  • その他

あなたの時間に余裕がある場合、つぎの場所に立ち寄るのもいいかもしれません。いずれも吉原神社から歩いて数分の場所にあります。

  • 鷲神社(おおとり じんじゃ)
  • 長國寺(ちょうこくじ)

こんな人におすすめ

あなたが以下のいずれかに該当する場合、今回の東京下町めぐりはおすすめです。

  • 通常のツアーよりもディープなものを体験したい
  • 歴史的な場所を訪問したい
  • 鬼滅の刃の聖地巡礼をしたい
  • その他

時間の目安

  • 時間の目安:約 1 時間

集合場所と解散場所

  • 集合場所:日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)
  • 解散場所:日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)

訪問場所の一覧

  1. 日比谷線の三ノ輪駅
  2. 浄閑寺(投込寺)
  3. 山谷堀の跡地
  4. 日本堤の跡地
  5. 見返り柳
  6. 衣紋坂
  7. 五十間坂
  8. 吉原大門の跡地
  9. お歯黒どぶの跡地 #1
  10. カストリ書房
  11. 大文字楼の跡地
  12. 仲之町通り
  13. 稲本楼の跡地
  14. 角海老楼の跡地
  15. 水道尻
  16. お歯黒どぶの跡地 #2
  17. 吉原神社
  18. 吉原弁財天
  19. 甘味処の三島屋
  20. 台東病院
  21. 日比谷線の三ノ輪駅

公衆トイレの場所

  • 日比谷線の三ノ輪駅
  • 吉原公園
  • 仲之町通りのファミリーマート
  • 台東病院
  • 花園公園
  • 三島屋

ツアーの詳細

基礎知識

正直なところ、新吉原のゆかりの地は、浅草寺などのような派手さや華やかさはありません。今回のツアーを満喫するためには、新吉原について少し知っておくことをおすすめします。

新吉原の歴史

引用元:国立国会図書館の「江戸切絵図(今戸箕輪浅草絵図)」

新吉原の歴史は 17 世紀までさかのぼります。

1617 年(元和 3 年)、徳川幕府は日本橋 葺屋町(にほんばし ふきやちょう)に遊廓を許可しました。これが後の吉原遊廓です。なお、遊廓とは歓楽街を壁や堀で囲んだものです。

徳川幕府が吉原遊郭を許可した理由は、主に 2 つあります。

  • 遊女屋を 1 か所に集めることで、江戸の街の風紀と治安を守ることができる。
  • 名主に遊廓を管理させることで、税金を効率的に徴収することができる。

1656 年(明暦 2 年)、徳川幕府は、吉原遊廓に移転を命じました。1657 年(明暦 3 年)、吉原遊廓は、日本橋から浅草の近くの日本堤(にほんづつみ)に移転しました。

徳川幕府が吉原遊廓を移転した理由は、つぎのとおりです。

  • 江戸の街が発展するに従い、吉原遊郭があった日本橋が次第に江戸の市中になった。
  • 1657 年(明暦 3 年)の明暦の大火(めいれき の たいか)で江戸の街の大半が焼失した。

日本橋にあった吉原遊郭を元吉原(もとよしわら)、そして、日本堤の吉原遊郭を新吉原(しんよしわら)と呼びます。

非公認のものを含めると、日本には数多くの遊廓が存在しました。その中でも新吉原は最大の規模を誇りました。多いときには 8,000 人以上の人びとが新吉原で働いていたといわれています。

新吉原は単なる花街ではなく、上流階級や文化人の社交の場でもありました。そのため、当時の文化の最先端の場所でした。

新吉原の遊女の多くは、教養が高く、気位が高い人たちでした。そのため、客たちも高い教養とマナーが要求されました。

1957 年(昭和 32 年)、売春防止法が施行されました。これに伴い、吉原遊廓は 340 年の歴史に幕を下ろしました。

新吉原の概要

新吉原があった場所は、現在の台東区 千束 3 丁目と 4 丁目あたりです。新吉原の敷地は、横が約 246 m(135 間)、奥行きが約 330 m(180 間)の長方形でした。

新吉原の周囲には、お歯黒どぶと呼ばれる堀がありました。新吉原ができたとき、お歯黒どぶの幅は約 9 m(5 間)ありました。お歯黒どぶには、遊女が逃げられないようにする目的がありました。

吉原大門(よしわら おおもん)は、平常時、新吉原に入るための唯一の入口でした。門といっても、扉があったわけではないようです。「鬼滅の刃」でも吉原大門はアーチ型の入口になっています。

新吉原の一番奥は水道尻(すいどうじり)と呼ばれていました。水道尻の先には新吉原の裏門がありました。災害時や酉の市(とり の いち)などの特別の場合を除き、この裏門は閉まっていました。

新吉原の敷地内の四隅と吉原大門の前には、合計 5 つの稲荷神社がありました。これらの神社は陰陽道(おんみょうどう)に基づき建てられたものです。新吉原を守護する目的がありました。

新吉原の前には山谷堀(さんやぼり)がありました。山谷堀は、三ノ輪から隅田川まで続いていた水路です。江戸時代、舟で隅田川から山谷堀を通って新吉原に行くことが粋(いき)とされました。

日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)

ルートの解説

日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)

日比谷線の三ノ輪駅(東京・荒川区)
日比谷線の三ノ輪駅(東京・荒川区)

今回の集合地点は、日比谷線の三ノ輪駅(3 番出口)です。この出口に出るためには、三ノ輪駅のホームの北千住寄りの階段を使います。

地上階に出ると、明治通りと昭和通りの大きな交差点が右手に見えます。この交差点に向かって歩きます。交差点に着いたら右に曲がります。牛めしの松屋のオレンジ色の看板が目印です。

松屋を通り過ぎたら、最初の路地を右に曲がります。数十メートル先に浄閑寺(じょうかんじ)があります。

浄閑寺

浄閑寺(東京・荒川区)
浄閑寺(東京・荒川区)

浄閑寺(じょうかんじ)は、1655 年(明暦元年)に建てられた浄土宗(じょうどしゅう)の寺院です。この寺院は新吉原から歩いて 10 分から 15 分くらいの場所にあります。

浄閑寺は投込寺とも呼ばれます。吉原遊廓で遊女が亡くなった際、彼女たちはこの寺院に投げ込まれるように葬られました。

浅草地区には、新吉原の投込寺がいくつかありました。例えば、橋場の正憶院(しょうおくいん)や竜泉の大音寺(だいおんじ)などです。その中でも浄閑寺が一番有名です。

新吉原の投込寺として、浄閑寺には新吉原の史跡が数多くあります。浄閑寺の詳細については、つぎの記事を参照してください。

新吉原総霊塔
浄閑寺の新吉原総霊塔(東京・荒川区)
浄閑寺の新吉原総霊塔(東京・荒川区)

浄閑寺には、新吉原にまつわる史跡がいくつか残っています。新吉原総霊塔(しんよしわら そうれいとう)はその 1 つです。

 1855 年(安政 2 年)に発生した安政江戸地震(あんせい えど じしん)の際、500 人以上の遊女が亡くなりました。浄閑寺は、彼女たちを新吉原総霊塔に供養しました。

現在、この供養塔は、新吉原の創業から廃業までの 380 年間に浄閑寺に葬られた遊郭の関係者を供養しています。浄閑寺によると、その数は 25,000 人以上とのことです。

花又花酔の川柳
浄閑寺の花又花酔句壁(東京・荒川区)
浄閑寺の花又花酔句壁(東京・荒川区)

新吉原総霊塔の壁には、花又花酔(はなまた かすい)の川柳が刻まれています。花又花酔は、明治時代から昭和時代にかけて活躍した川柳作家です。

花又花酔の川柳「生まれては苦界、死しては浄閑寺」は、当時の新吉原の遊女たちの悲哀を的確に表わしています。

若紫の墓
浄閑寺の若紫の墓(東京・荒川区)
浄閑寺の若紫の墓(東京・荒川区)

浄閑寺の中門のそばに若紫(わかむらさき)の墓があります。若紫は、明治時代の花魁(おいらん)です。花魁とは、新吉原で最も格の高い遊女のことです。

若紫は、とても美しく、教養が高く、性格も優しい女性でした。そのため、源氏物語の紫の上 ( むらさき の うえ )にちなんで若紫の名前が付けられました。

若紫はとても人気があったため、彼女は 5 年で年季を終わることができました。これは、一般の遊女よりも短い期間です。

新吉原を出た後、若紫はかねてから交際していた恋人と結婚する予定でした。しかし、それは実現しませんでした。

若紫が新吉原を去る 5 日前、彼女は通り魔に襲われて 22 才で生涯を終えたのです。若紫を哀れに思った人たちが彼女の墓を浄閑寺に建てました。

墓石の上部に「角海老(かどえび)」の文字が刻まれています。これは、若紫が働いていた角海老楼(かどえび ろう)のことです。角海老楼は、当時の新吉原で格式が高い店の 1 つでした。

山谷堀の跡地

三ノ輪二丁目公衆トイレの前の道路(東京・台東区)
三ノ輪二丁目公衆トイレの前の道路(東京・台東区)

浄閑寺の前には公衆トイレがあります。そのトイレの前の通りからは東京スカイツリーを正面に見ることができます。私は、個人的に東京スカイツリーと下町の建物の組み合わせの写真を撮ることが好きです。

昔、この通りは山谷堀(さんやぼり)と呼ばれる水路がありました。山谷堀は三ノ輪から隅田川に続いていました。江戸時代、人びとは船で隅田川から山谷堀を通って新吉原に通っていました。

日本堤の跡地

明治通り(東京・台東区)
明治通り(東京・台東区)

浄閑寺から三ノ輪駅(3 番出口)に戻ります。三ノ輪駅のこの出口の前に明治通りがあります。明治通りは途中で土手通りに分かれています。この 2 つの通りを東京スカイツリーに向かって歩きます。

山谷堀の南側に日本堤と呼ばれる土手がありました。この土手は、三ノ輪駅周辺から隅田川まで延びていました。現在の明治通りと土手通りに相当します。

あしたのジョー像
あしたのジョー像(東京・台東区)
あしたのジョー像(東京・台東区)

土手通りをさらに進むと、左手にボクシング マンガ「あしたのジョー」の主人公である矢吹丈の像が建っています。

土手通りの左側は、かつて山谷(さんや)と呼ばれた地域です。矢吹丈が通っていた丹下ジムは、この地域の一角にあったことになっています。

一葉記念館の案内板
一葉記念館の入口(東京・台東区)
一葉記念館の入口(東京・台東区)

土手通りを東京スカイツリーの方角にさらに進むと、一葉記念館(いちよう きねんかん)の案内板があります。

一葉記念館は、明治時代の女流作家の樋口一葉(ひぐち いちよう)の資料館です。彼女はこの近所に住んでいました。そのため、「たけくらべ」など、彼女はこの地域を舞台にした小説を発表しました。

吉原大門 交差点

吉原大門の入口(東京・台東区)
吉原大門の入口(東京・台東区)

三ノ輪駅から明治通りと土手通りを 10 分ほど歩くと吉原大門交差点(よしわら おおもん こうさてん)に着きます。 この交差点の目印は台東病院の案内板です。

この交差点を右に曲がると新吉原はすぐそこです。

見返り柳
見返り柳(東京・台東区)
見返り柳(東京・台東区)

吉原大門 交差点のガソリン スタンドの前には、見返り柳(みかえり やなぎ)とその記念碑があります。

新吉原で楽しい時間を過ごした男性客たちは、この柳の木のあたりで振り返って名残りを惜しみました。そのため、昔の人たちはこの柳の木を「見返り柳」と呼びました。

説明板によると、見返り柳は日本堤(土手)にあったとのことです。日本堤は整地されたため、見返り柳は現在の場所に移されました。

見返り柳(東京・台東区)
見返り柳(東京・台東区)

電柱と電線があるため、見返り柳は枝が切り整えられています。そのため、大きな柳の木を期待して行くと少しがっかりするかもしれません。

衣紋坂

日本堤の土手から遊廓にかけて衣紋坂(えもんざか)と呼ばれる坂道がありました。衣紋とは、身だしなみを整えるという意味です。

新吉原を訪れる際、男性客たちはこの道を歩きながら身だしなみを整えました。そうすることで、彼らは少しでも新吉原の遊女の心象を良くしようとしたのでしょう。

五十間道
衣紋坂・五十間道(東京・台東区)
衣紋坂・五十間道(東京・台東区)

五十間道(ごじっけんみち)は、衣紋坂と新吉原の入り口をつなぐ道です。五十間は長さのことで、約 90 メートルです。衣紋坂から新吉原までの距離が五十間だったことに由来します。

五十間道は S 字カーブになっています。その理由は、吉原遊廓の中が見えないようにするためとのことです。

五十間道の途中には、玄徳稲荷神社(よしとく いなり じんじゃ)がありました。その昔、5 つの稲荷神社が新吉原を守護していました。玄徳稲荷神社はその 1 つです。

吉原大門の跡地

吉原大門の跡地(東京・台東区)
吉原大門の跡地(東京・台東区)

吉原大門(よしわら おおもん)は、平常時、新吉原に入るための唯一の入口でした。門といっても、扉があったわけではありません。そのため、「鬼滅の刃」でも吉原大門はアーチ型の入口になっています。

お歯黒どぶの跡地

お歯黒どぶ跡地(東京・台東区)
お歯黒どぶ跡地(東京・台東区)

吉原大門の跡地の近くには交番があります。その交番の横にある道は、かつてお歯黒どぶと呼ばれる堀がありました。

お歯黒どぶは、吉原遊廓の周囲にあった堀です。新吉原ができたとき、お歯黒どぶの幅は約 9 m(5 間)ありました。お歯黒どぶには、遊女が逃げられないようにする目的がありました。

お歯黒どぶの石垣の跡地
お歯黒どぶの石垣の跡地(東京・台東区)
お歯黒どぶの石垣の跡地(東京・台東区)

お歯黒どぶは 19 世紀の初めには埋め立てられました。この堀に関する史跡はほとんど残っていません。

交番のすぐ裏にマンションがあります。そのマンションの横には、お歯黒どぶの石垣の擬定地(ぎていち)があります。この石を積み上げたものは、お歯黒どぶの石垣の跡と推定されています。

カストリ書房
カストリ書房(東京・台東区)
カストリ書房(東京・台東区)

お歯黒どぶの石垣の擬定地のすぐ近くには、カストリ書房があります。カストリ書房は、遊廓に関連した資料や書籍を専門に取り扱う書店です。

ウィキペディアによると、粕取り酒(かすとりしゅ)が語源のようです。第二次世界大戦の後に出回った粗悪な密造焼酎に対する俗称とのことです。

大文字楼の跡地
吉原公園(東京・台東区)
吉原公園(東京・台東区)

カストリ書房から少し歩いたところに吉原公園があります。この公園は、大文字楼(だいもんじ ろう)の跡地です。

大文字楼は、角海老楼と稲本楼と並び、19 世紀後半の新吉原の三大妓楼と称されました。妓楼(ぎろう)とは、遊女が働く店のことです。三大妓楼は格の高さで有名でした。

吉原公園(東京・台東区)
吉原公園(東京・台東区)

吉原公園は道路から一段高いところにあります。お歯黒どぶから見ると遊廓はこの高さにあったのかもしれません。

榎本稲荷神社の跡地
吉原公園(東京・台東区)
吉原公園(東京・台東区)

吉原公園の西端の砂場には、かつて榎本稲荷神社(えのもと いなり じんじゃ)がありました。その昔、5 つの稲荷神社が新吉原を守護していました。榎本稲荷神社はその 1 つです。

仲之町通り

仲ノ町通り(東京・台東区)
仲ノ町通り(東京・台東区)

吉原公園から吉原大門に戻り、そのまま真っすぐ進みます。この道が仲之町通り(なかのちょう どおり)です。

仲之町通りは、新吉原の中央通りでした。現在は、道路の両側に風俗店が軒を連ねています。人によっては、この道路を歩くのが居心地が悪いかもしれません。

意外なことに仲之町通りは通学路でもあります。ランドセルを背負った小学生が歩いているのを見かけると、私は複雑な気持ちになります。

稲本楼の跡地
稲本楼の跡地(東京・台東区)
稲本楼の跡地(東京・台東区)

仲之町通りをさらに進むと、千束四丁目 交差点があります。この交差点を角町通り(かどちょう どおり)の方向に曲がるとホテル稲本があります。

新吉原の時代、ホテル稲本の辺りには稲本楼(いなもと ろう)がありました。稲本楼も 19 世紀後半の新吉原の三大妓楼の 1 つです。

角海老楼の跡地
角海老楼の跡地(東京・台東区)
角海老楼の跡地(東京・台東区)

仲之町通りと京町通り(きょうまち どおり)が交わる交差点の近くには、マンションが建っています。このマンションの敷地には、かつて角海老楼(かどえび ろう)がありました。

角海老楼も 19 世紀後半の新吉原の三大妓楼の 1 つです。また、浄閑寺に葬られている若紫が働いていたのも角海老楼です。

角海老楼には有名な時計塔がありました。この時計塔は、樋口一葉(ひぐち いちよう)の「たけくらべ」にも出てきます。

水道尻
水道尻の跡地(東京・台東区)
水道尻の跡地(東京・台東区)

仲之町通りをさらに進むと、水道尻(すいどうじり)に着きます。ここが新吉原の一番奥だった場所です。

水道尻には、新吉原の裏門がありました。平常時、この裏門は閉じられていたため、出入りすることはできませんでした。

この裏門の近くには、浅草酉の市(あさくさ とりのいち)で有名な長國寺(ちょうこくじ)と鷲神社(おおとり じんじゃ)があります。

新吉原の裏門は、毎年 11 月の酉の市の日に開放されました。そのため、「浅草酉の市」の帰りに遊郭で遊ぶ人たちが多かったとのことです。

また、水道尻の裏門の手前には、秋葉常夜灯(あきは じょうやとう)がありました。秋葉常夜灯は、火伏せ(ひぶせ)の神さまである秋葉権現(あきば ごんげん)を祀る大きな銅製の灯籠です。

お歯黒どぶの跡地
お歯黒どぶの跡地(東京・台東区)
お歯黒どぶの跡地(東京・台東区)

水道尻から吉原神社に向かう途中、仲之町通りは細い路地と交差します。この路地は仲之町通りを中心に左右にまっすぐ延びています。恐らく、この路地に沿ってお歯黒どぶがあったと思われます。

吉原神社

吉原神社(東京・台東区)
吉原神社(東京・台東区)

仲之町通りをさらに進むと、右側に吉原神社(よしわら じんじゃ)があります。

前述のとおり、5 つの稲荷神社が新吉原を守護していました。吉原神社はそれら 5 つの神社を合祀(ごうし)したものです。合祀とは、複数の神さまを 1 か所で祀ることです。

吉原神社は、新吉原で働く多くの女性の信仰を集めました。現在でも女性の願いを叶えてくれる神社として有名です。

吉原神社の詳細については、つぎの記事を参照してください。

逢初桜
吉原神社の逢初桜(東京・台東区)
吉原神社の逢初桜(東京・台東区)

吉原神社の入り口左側には逢初桜(あいぞめざくら)とよばれる桜の木が植えられています。逢初とは、恋い焦がれる人との出会いを意味します。

逢初桜は、もともと衣紋坂の入口の近くに植えられていました。江戸時代、男性客はこの桜の木にすてきな出会いを祈願してから遊郭に入っていたとのことです。

仲之町通り(東京・台東区)
仲之町通り(東京・台東区)

吉原神社を過ぎたあたりで仲之町通りは S 字カーブになっています。衣紋坂と同様、裏門の外から吉原遊廓の中が直接見えないようにするためと思われます。

吉原弁財天

吉原弁財天(東京・台東区)
吉原弁財天(東京・台東区)

仲之町通りをさらに進むと、吉原弁財天(よしわら べんざいてん)があります。

吉原弁財天は、吉原神社の境外社(けいがいしゃ)です。吉原弁財天は吉原神社から離れた場所にありますが、吉原神社が管理しています。

この場所には、1959 年(昭和 34 年)まで弁天池(べんてんいけ)や花園池(はなぞのいけ)と呼ばれる池がありました。弁天は、金運や芸事の神さまである弁財天のことです。

弁天池のほとりには弁財天の祠がありました。この弁財天は、新吉原の遊廓の関係者たちの信仰を集めていました。

吉原観音像
吉原弁財天(東京・台東区)
吉原弁財天(東京・台東区)

吉原弁財天の境内には、吉原観音像(よしわら かんのん ぞう)があります。吉原観音像は、1923 年(大正 12 年)の関東大震災の犠牲者を供養しています。

1923 年(大正 12 年)、関東大震災がおきました。この地震により、東京の多くの地域で火災が発生しました。新吉原やその周辺の地域も大火災に見舞われました。

遊郭内に逃げ場を失った遊女たちは、火を避けるために花園池に飛び込みました。その結果、490 人もの女性が犠牲になったとのことです。

その他の史跡
吉原弁財天(東京・台東区)
吉原弁財天(東京・台東区)

吉原弁財天は、あちらこちらに新吉原の名残りをとどめています。

吉原弁財天の玉垣(たまがき)には、遊廓の関係者の名前が刻まれています。玉垣とは、神社の周囲を囲む垣根のことです。上の写真では、角海老楼の名前を確認できます。

吉原弁財天(東京・台東区)
吉原弁財天(東京・台東区)

それ以外にも、吉原弁財天の境内には、遊廓の関係者が奉納した石碑がいくつもあります。上の写真では、大文字楼と稲本楼の名前を確認できます。

甘味処の三島屋

甘味処の三島屋(東京・台東区)
甘味処の三島屋(東京・台東区)

吉原弁財天から仲之町通りをさらに進むと、甘味処の三島屋(みしまや)があります。三島屋は昭和の雰囲気を漂わす店です。店の外観もそうですが、店内も昔ながらの作りになっています。

個人的に好きなメニューは、焼きそばと今川焼きです。焼きそばは、太めのもちもち食感の麺が気に入っています。今川焼きは冷めても皮が柔らかいのが特徴です。

店内でジュースやビールを飲む場合、自分で冷蔵庫から取り出すシステムです。このあたりも下町のおおらかさがにじみ出ています。

北めぐりん(根岸まわり)の台東病院 停留所

台東病院(東京・台東区)
台東病院(東京・台東区)

台東病院は、仲之町通り沿いにあります。具体的な場所は、吉原弁財天と吉原神社の中間あたりです。

台東病院の敷地内にめぐりんバスの停留所があります。めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。乗車料金は 100 円です。

ここで北めぐりん(根岸まわり)に乗ります。このバスに乗ると、吉原大門を経由して三ノ輪駅まで戻ることができます。今回の東京下町めぐりの復習に最適です。

仲之町通り(東京・台東区)
仲之町通り(東京・台東区)

北めぐりん(根岸まわり)は、台東区のコミュニティ バス「めぐりんバス」の 1 つです。台東病院を出発して、三ノ輪駅、下谷、根岸、鶯谷駅、かっぱ橋道具街などを循環します。

めぐりんバスの乗車料金は 100 円です。そのため、都営バスや電車よりも安く台東区内を移動することができます。

なお、台東病院には、北めぐりん(浅草まわり)と南めぐりんも停車するので注意してください。

北めぐりん(浅草まわり)は、台東病院を出発して、浅草、隅田公園、橋場、三ノ輪駅、千束などを循環します。台東病院から浅草に向かう場合は、北めぐりん(浅草まわり)が便利です。

南めぐりんは、台東病院を出発して、入谷、上野、浅草橋、蔵前、田原町などを循環します。台東病院から上野や浅草橋に向かう場合は、南めぐりんが便利です。

めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。

北めぐりん(根岸まわり)、北めぐりん(浅草まわり)、および、南めぐりんのルートと停留所(乗り場)の詳細については、つぎの記事を参照してください。

日比谷線の三ノ輪駅

三ノ輪駅 停留所(停留所の番号:5 番)で北めぐりん(根岸まわり)を下車します。これで今回の東京下町めぐりは終了です。

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