東京下町ガイド の「神社」カテゴリーでは、東京の下町エリアにあるいろいろな神社をわかりやすく紹介しています。あなたの東京観光におすすめのスポットを毎回 1 つ取り上げます。
今回の記事では、台東区の下谷(したや)にある 小野照崎神社(おのてるさき じんじゃ)を紹介します。
小野照崎神社は、学問と芸能の神さまである 小野篁(おの たかむら)です。この神さまのご神徳(ご利益)は、芸事上達、学業成就、仕事運向上、その他です。
俳優の渥美清さんは、無名時代に小野照崎神社にお参りしました。その後、彼は映画「男はつらいよ」の主役に選ばれたという逸話があります。
今回の記事では、小野照崎神社に関する以下の内容をやさしく解説します。
- 歴史
- 祀られている神さま
- 見どころ
- アクセス方法
- その他
この記事を読むことで、小野照崎神社についてより深く理解できます。小野照崎神社を訪れる際は、ぜひこの記事を参考にしてください。
由緒(歴史)
小野照崎神社によると、この神社の始まりは 9 世紀にまでさかのぼります。
平安時代の政治家に 小野篁(おの たかむら)という人物がいました。彼は上野国(こうずけのくに)の国司(こくし)として任命されていました。
上野国は現在の群馬県です。そして、国司は政府から派遣された役人のことで、地方の統治を担当していました。
国司の任務を終えた小野 篁が京都に戻る途中、彼は上野の 照崎(てるさき)を通りました。この地の景色に魅了された小野篁はしばらくこの地に滞在しました。照先は、現在の上野公園の東北部に位置しています。
852 年(仁寿 2 年)、小野篁が亡くなりました。上野の人びとは、彼を偲んで上野の照崎に彼を祀る神社を建てました。これが小野照崎神社です。
小野照崎神社の別当寺(べっとうじ)は、天台宗の 嶺照院(れいしょういん)でした。別当寺とは、神社を管理する寺院のことです。別当寺は、神仏習合(しんぶつ しゅうごう)の時代の制度です。
1625 年(寛永 2 年)、徳川幕府は、上野の忍岡(しのぶがおか)に寛永寺(かんえいじ)を建てました。忍岡は、現在の上野公園の一帯の昔の地名です。
徳川幕府が寛永寺を建てた理由は、江戸城の鬼門(きもん)を封じるためです。鬼門とは、東北の方角のことです。
昔の人は、鬼門から鬼が来て悪いことをすると信じていました。そのため、江戸城の鬼門に神社や寺院を建てれば鬼は江戸に入ってこられないと考えたのです。
これに伴い、小野照崎神社は、長左衛門稲荷(ちょうざえもん いなり)があった場所に移りました。長左衛門稲荷は、現在も小野照崎神社の境内にあります。
江戸時代の後期、小野照崎神社は、両国の 回向院(えこういん)に祀られていた 菅原道真(すがわら みちざね)を遷宮(せんぐう)しました。遷宮とは、神社や寺院で祀られている神さまや仏さまを他の場所に移すことです。
1782 年(天明 2 年)、小野照崎神社は、境内に 富士塚(ふじづか)を建てました。富士塚は富士山を模した人工の山や塚です。小野照崎神社の富士塚は、下谷坂本富士(したや さかもと ふじ)と呼ばれています。
江戸時代から昭和時代にかけて、江戸の庶民を中心に 富士講(ふじこう)が流行しました。富士講とは、富士山を神と見立てる民間信仰のことです。
富士講の活動の 1 つに富士山登山があります。しかし、当時の人たちにとって富士山まで旅をすることはとても大変でした。そこで、人びとは、富士山を訪れる代わりに富士塚を参拝したのです。
1866 年(慶応 2 年)、現在の社殿が完成しました。
祀られている神さまとご神徳(ご利益)
小野篁
小野照崎神社の主神(しゅしん)は、小野篁(おの の たかむら)です。主神とは、その神社で中心となる神さまのことです。
小野篁は、平安時代の政治家であり歌人でもありました。彼は朝廷で高い地位に就き、政治や文化の発展に貢献しました。また、彼は数多くの和歌を残し、その才能と教養で知られています。
小野篁は、学問と芸能の神さまです。この神様の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 芸事上達(げいごと じょうたつ):音楽、芸術、芸能などが上達する
- 学業成就(がくぎょう じょうじゅ):学問に関する願いが叶う
- 仕事運上昇(しごとうん じょうしょう):仕事がうまくいく
- その他
菅原道真
境内社(けいだいしゃ)の 北野神社(きたの じんじゃ)は、菅原道真(すがわら の みちざね)を祀っています。境内社とは、神社の境内にある小さな社のことです。
菅原道真は平安時代の貴族です。また、学者や政治家としてもとても有能でした。
菅原道真は、学問の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 学業成就(がくぎょう じょうじゅ):学問に関する願いが叶う
- 芸能上達(げいのう じょうたつ):芸能や芸術の才能が開花する
- 除災招福(じょさいしょうふく):あらゆる災いを取り除く
- その他
国常立命
境内社の 御嶽神社(みたけ じんじゃ)は、国常立命(くに の とこたち の みこと)を祀っています。この神さまは、国之常立神(くに の とこたち の かみ)とも呼びます。
国常立命は、天地開闢(てんち かいびゃく)のときに最初に現れた神さまです。天地開闢とは、日本の神話において天と地が生まれた瞬間のことです。
国常立命は、国土守護の神さまです。この神様の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 国土安穏(こくど あんのん):国家の平和と国民の安全を維持する
- 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
- 商売繁盛(しょうばい はんじょう):商いがうまくいく
- その他
国狭槌命
境内社の 御嶽神社(みたけ じんじゃ)は、国狭槌命(くにさつち の みこと)を祀っています。この神さまは、国狭立尊(くに の さたち の みこと)とも呼びます。
国狭槌命は、天地開闢(てんち かいびゃく)のときに 2 番目に現れた神さまです。天地開闢とは、日本の神話において天と地が生まれた瞬間のことです。
国狭槌命は、生命と土の神さまです。この神様の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
- その他
豊斟渟尊
境内社の 御嶽神社(みたけ じんじゃ)は、豊斟渟尊(とよくむぬ の みこと)を祀っています。この神さまは、豊雲野神(とよくもの の かみ)とも呼びます。
豊斟渟尊は、天地開闢(てんち かいびゃく)のときに 3 番目に現れた神さまです。天地開闢とは、日本の神話において天と地が生まれた瞬間のことです。
豊斟渟尊は、雲に覆われた豊かな大地を象徴する神さまです。この神様の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
- その他
伊邪奈岐命
境内社の 三峯神社(みつみね じんじゃ)は、伊邪奈岐命(いざなぎ の みこと)を祀っています。伊邪奈岐命は、妻の 伊邪奈美命(いざなみ の みこと)と共に日本列島を構成する島々や多くの神さまを生みました。
伊邪奈岐命は、国産みと神産みの神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 夫婦円満(ふうふ えんまん):夫婦が仲良く暮らせる
- 子孫繁栄(しそん はんえい):自分の子どもや孫たちが幸せに暮らせる
- 長寿繁栄(ちょうじゅ はんえい):健康で長生きできる
- 縁結び(えんむすび):良い相手と出会える
- その他
伊邪奈美命
境内社の 三峯神社(みつみね じんじゃ)は、伊邪奈美命(いざなみ の みこと)を祀っています。伊邪奈美命は、夫の 伊邪奈岐命(いざなぎ の みこと)と共に日本列島を構成する島々や多くの神さまを生みました。
伊邪奈美命は、国産みと神産みの神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 夫婦円満(ふうふ えんまん):夫婦が仲良く暮らせる
- 子孫繁栄(しそん はんえい):自分の子どもや孫たちが幸せに暮らせる
- 長寿繁栄(ちょうじゅ はんえい):健康で長生きできる
- 縁結び(えんむすび):良い相手と出会える
- その他
素盞雄命
境内社の 琴平神社(ことひら じんじゃ)は、素盞雄命(すさのお の みこと)を祀っています。この神さまは、太陽神である 天照大神(あまてらす おおみかみ)の弟です。
素戔雄尊は、海、嵐、農業の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 除災招福(じょさいしょうふく):あらゆる災いを取り除く
- 家内安全(かない あんぜん):家族が健康で安全に過ごせる
- 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
- その他
宇迦之魂命
境内社の 稲荷神社(いなり じんじゃ)は、宇迦之魂命(うか の みたま の みこと)を祀っています。
宇迦之魂命は、穀物、農業、そして、芸能の神さまです。また、宇迦之魂命は、同じく穀物をつかさどる神さまの 稲荷神(いなりしん)と同一視されます。
宇迦之魂命の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
- 商売繁盛(しょうばい はんじょう):商いがうまくいく
- 家内安全(かない あんぜん):家族が健康で安全に過ごせる
- 芸事上達(げいごと じょうたつ):音楽、芸術、芸能などが上達する
- その他
栲幡千千姫命
境内社の 織姫神社(おりひめ じんじゃ)は、栲幡千千姫命(たくはたちぢひめ の みこと)を祀っています。
栲幡千千姫命は、織物の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 織物業守護(おりものぎょう しゅご):織物業が発展する
- 安産(あんざん):母子ともに健康に出産できる
- 子授け(こさずけ):子どもを授かることができる
- 家内安全(かない あんぜん):家族が健康で安全に過ごせる
- その他
猿田彦命
小野照崎神社の 庚申塚(こうしんづか)は、猿田彦命(さるたひこ の みこと)を祀っています。
猿田彦命は、神話の時代に神さまの道案内をした神さまです。そのため、導き(みちひらき)の神さまとして、あらゆることを良い方向に導くといわれています。
猿田彦命は、導き(みちひらき)の神さまです。この神様の主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。
- 交通安全(こうつう あんぜん):船、車、飛行機など、乗り物が安全に往来できる
- 商売繁盛(しょうばい はんじょう):商いがうまくいく
- 家内安全(かない あんぜん):家族が健康で安全に過ごせる
- 縁結び(えんむすび):良い相手と出会える
- その他
見どころ
庚申塚
小野照崎神社の境内には、庚申塚(こうしんづか)があります。庚申塚とは、庚申信仰(こうしん しんこう)に基づいて建てられた塚のことです。
庚申信仰によると、私たちの体内には 三尸(さんし)と呼ばれる 3 匹の虫が住んでいます。三尸は、私たちが生まれたときから体内にいるとされています。
庚申(こうしん)の日の夜、私たちが眠っている間に三尸は私たちの体から抜け出します。そして、天帝(てんてい)に私たちが行った悪事を告げ口するのです。
天帝は、罪の重さに応じて私たちの寿命を削ります。そのため、人びとは庚申の日に集まって眠らずに過ごす習慣ができました。これが庚申講です。
庚申の日は 60 日に 1 度めぐってきます。つまり、庚申講は 60 日に 1 度開かれます。庚申講を 3 年間 18 回続けた人が記念に建てたのが庚申塚です。
小野照崎神社の庚申塚には全部で 11 の石碑があります。その中で一番古いものは 1647 年(正保 2 年)に建てられました。
小野照崎神社の庚申塚は、大阪の 四天王寺(してんのうじ)の庚申堂、京都の 金剛寺(こんごうじ)の庚申堂と共に「日本三大庚申(にほん さんだい こうしん)」と呼ばれています。
富士塚
小野照崎神社の境内には、1782 年(天明 2 年)に建てられた 富士塚(ふじづか)があります。富士塚は、富士山を模した人工の山や塚です。
江戸時代から昭和時代にかけて、江戸の庶民を中心に 富士講(ふじこう)が流行しました。富士講とは、富士山を神と見立てる民間信仰のことです。
富士講の活動の 1 つに富士山登山があります。しかし、当時の人たちにとって富士山まで旅をすることはとても大変でした。そこで、人びとは、富士山を訪れる代わりに富士塚を参拝したのです。
小野照崎神社の富士塚は、富士山の溶岩で作られています。また、一合目には 役小角(えん の おづぬ)の像があります。そして、五合目には 角行(かくぎょう)の像があります。
役行者は、修験道(しゅうけんどう)を作った人です。修験道とは、山にこもって厳しい修行を行うことで悟りを得ようとする山岳信仰です。
角行は、富士講(ふじこう)を作った人です。富士講とは、富士山信仰と修験道の教えを民衆向けに解釈したものです。
小野照崎神社の富士塚は、当時の富士山信仰のなごりを今の時代に伝えるものです。そのため、1979 年(昭和 54 年)、小野照崎神社の富士塚は国の 重要有形民俗文化財 に指定されました。
福猫
小野照崎神社の境内では、猫たちがくつろいでいる姿を見かけます。特に何かご利益があるとかではないのですが、心がほっこりします。
この周辺で境内に猫がいる神社は、次のとおりです。
- 今戸神社(いまど じんじゃ)
- 藏前神社(くらまえ じんじゃ)
- 吉原神社(よしわら じんじゃ)
ただし、吉原神社は遭遇する確率がとても低いようです。
下町八福神(学問芸能)
小野照崎神社は、下町八福神(したまち はちふくじん)の 1 つです。下町八福神とは、東京の中央区と台東区にある 8 つの神社のことです。
下町八福神では、それぞれの神社ごとに異なるご神徳(ご利益)があります。小野照崎神社のご神徳は「学問芸能」です。
下町八福神すべてを参拝することを「下町八福神めぐり」や「下町八社福参り」といいます。下町八福神めぐりは、地域おこしの一環として 1981 年(昭和 56 年)に始まりました。
その名のとおり、下町八福神はすべて東京の下町にあります。8 つの神社をめぐることで、下町の名所や旧跡を楽しんだり、下町の情緒を味わったりできます。
下町八福神の詳細については、次の記事を参照してください。
江戸二十五天神(第十四番)
小野照崎神社は、江戸二十五天神(えど にじゅうご てんじん)の 1 つです。江戸二十五天神とは、都内で 菅原 道真(すがわら みちざね)を祀っている 25 の神社(天神や天満宮)のことです。
江戸二十五天神は、江戸時代後期から明治時代にかけて成立したといわれています。同様のものに 東京天満宮二十五社(とうきょう てんまんぐう にじゅうごしゃ)があります。
江戸二十五天神では、それぞれの神社に番号が付けられています。この番号は、巡拝の順番です。小野照崎神社の番号は 14 番です。
他の江戸二十五天神の 1 つに石浜神社があります。石浜神社の詳細については、次の記事を参照してください。
各種情報
社務所の受付時間
- 午前 9 時から午後 4 時まで
電話番号
- 03-3872-5514
住所
- 〒110-0004 東京都 台東区 下谷 2-13-14
地図
アクセス(電車)
- 日比谷線の 入谷駅(4 番出口)から徒歩 3 分
- JR 線の 鶯谷駅(南口)から徒歩 7 分
アクセス(めぐりんバス)
- 北めぐりん(根岸まわり)の 入谷駅入口 停留所(停留所の番号:16 番)から徒歩 1 分
- 北めぐりん(根岸まわり)の 金杉通り 停留所(停留所の番号:10 番)から徒歩 2 分
- 北めぐりん(根岸まわり)の 根岸三丁目 停留所(停留所の番号:11 番)から徒歩 2 分
- ぐるーりめぐりんの 根岸三丁目 停留所(停留所の番号:3 番)から徒歩 2 分
めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。
北めぐりん(根岸まわり)とぐるーりめぐりんの停留所(乗り場)の詳細については、つぎの記事を参照してください。
アクセス(都営バス)
- 都営バス(上 26・草 41)の 入谷鬼子母神 停留所 から徒歩 3 分
公衆トイレの有無
- なし