鷲神社(台東区)

東京下町ガイド の「神社」カテゴリーでは、東京の下町エリアにあるいろいろな神社や寺院をわかりやすく紹介しています。あなたの東京観光におすすめのスポットを毎回 1 つ取り上げます。

今回の記事では、台東区の浅草にある 鷲神社(おおとり じんじゃ)を紹介します。

鷲神社の起源は、隣にある 長国寺(ちょうこくじ)の境内にあった 番神堂(ばんじんどう)です。明治政府の神仏分離令により、番神堂は鷲神社として独立しました。

鷲神社は、毎年 11 月に長国寺と共同で「浅草酉の市(あさくさ とりのいち)」を開いています。「浅草酉の市」は、日本で最大規模の酉の市です。毎年 70 万人から 80 万人が訪れています。

今回の記事では、鷲神社に関する以下の内容をやさしく解説します。

  • 歴史
  • 祀られている神さま
  • 見どころ
  • アクセス方法
  • その他

この記事を読むことで、鷲神社についてより深く理解できます。鷲神社を訪れる際は、ぜひこの記事を参考にしてください。

由緒(歴史)

鷲神社によると、この神社の始まりは 17 世紀にまでさかのぼります。そして、その歴史は近所にある長國寺と深い関係があります。

その昔、長國山 鷲山寺(ちょうこくざん じゅせんじ)に日乾(にっけん)という僧侶がいました。鷲山寺は、千葉県の茂原 鷲巣(わしのす)にある、法華宗 本門流の大本山の寺院です。

日乾は、 鷲山寺の第 13 代住職です。また、彼は、安土桃山時代の大名である石田三成(いしだ みつなり)の子どもといわれています。

1630 年(寛永 7 年)、日乾は、浅草 鳥越町(あさくさ とりこえちょう)に長國寺を建てました。浅草 鳥越町は江戸時代の地名で、後に浅草 元鳥越町と改名されました。現在の台東区 鳥越 2 丁目あたりです。

1669 年(寛文 9 年)、長國寺は現在地に移転しました。長國寺によると、移転には坂本伝衛門(さかもと でんえもん)の支援があったとされています。なお、坂本伝衛門の詳細は不明です。

1771 年(明和 8 年)、長國寺の第 13 代住職である日玄(にちげん)は、鷲山寺から長國寺に鷲妙見大菩薩(わし みょうけん だいぼさつ)を勧請(かんじょう)しました。

鷲妙見大菩薩は、鷲に乗った妙見菩薩(みょうけん ぼさつ)です。妙見菩薩は、北極星や北斗七星を神格化した存在です。

勧請にはいろいろな意味があります。この場合の勧請とは、神さまや仏さまの分霊(ぶんれい)を他の場所で祀ることです。分霊しても元の神さまや仏さまに影響はないとされています。

鷲妙見大菩薩は、「おとりさま」や「鷲大明神(わし だいみょうじん)」とも呼びます。仏教の菩薩に神さまの尊称「大明神」を使うことを不思議に思う人もいるかもしれません。

昔の日本には、神仏習合(しんぶつ しゅうごう)という考えがありました。これは神道と仏教を融合した考えです。神仏習合は、神仏混淆(しんぶつ こんこう)ともいいます。

神仏習合によると、日本に昔からいる神さまは、仏教の仏さまが人びとを救うために仮の姿としてこの世に現われた存在です。だから、鷲妙見大菩薩を鷲大明神と呼んでも問題ないのでしょう。

当時、長國寺は、境内の番神堂(ばんじんどう)に鷲妙見大菩薩を祀っていました。番神堂は「鷲大明神の社」や「鷲の宮」とも呼ばれていました。

「社(やしろ)」も「宮」も神社を指すときに使う言葉です。ことから、番神堂は、長國寺が管理する神社という立ち位置にあったのでしょう。

1868 年(明治元年)、明治政府は神仏分離令(しんぶつ ぶんり れい)を発令しました。これは、神道と仏教、神さまと仏さま、そして神社と寺院を明確に区別する法律です。

神仏分離令により、寺院である長國寺は、神社としての番神堂を管理することができなくなりました。そのため、番神堂は長國寺から独立し、鷲神社になりました。これも 1868 年(明治元年)のことです。

長國寺の詳細については、つぎの記事を参照してください。

神さまとご神徳(ご利益)

天日鷲神

鷲神社の主神(しゅしん)は、天日鷲神(あめ の ひわし の かみ)です。主神とは、その神社で中心となる神さまのことです。この神さまは、麻植神(おえ の かみ)や お酉さま(おとりさま)とも呼ばれています。

天日鷲神は、紡績と機織(はたおり)の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。

  • 繊維業守護(せんいぎょう しゅご):繊維業が発展する
  • 殖産興業(しょくさん こうぎょう):生産物が増える
  • 大漁追福(たいりょう ついふく):魚がたくさん捕れる
  • 商売繁盛(しょうばい はんじょう):商いがうまくいく
  • その他

日本武尊

日本武尊(やまとたける の みこと)も鷲神社の主神です。この神さま、日本の第 12 代天皇である景行天皇の皇子を神格化したものです。。

日本武尊は、戦いと農業の神です。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。

  • 除災招福(じょさいしょうふく):あらゆる災いを取り除く
  • 国土安穏(こくど あんのん):国家の平和と国民の安全を維持する
  • 五穀豊穣(ごこく ほうじょう):農作物がたくさん穫れる
  • 商売繁盛(しょうばい はんじょう):商いがうまくいく
  • その他

寿老神

鷲神社は、七福神の 寿老人(じゅろうじん)を祀っています。この神さまは、りゅうこつ座で一番明るい星であるカノープスを神格化したものです。

寿老人は長寿の神さまです。この神さまの主なご神徳(ご利益)は、次のとおりです。

  • 健康長寿(けんこう ちょうじゅ):健康で長生きできる
  • その他

見どころ

浅草酉の市

浅草酉の市(あさくさ とりのいち)は、毎年 11 月の酉の日に行われる、商売繁盛を願う祭です。この祭は江戸時代から続く、浅草の年末の風物詩です。

浅草酉の市は、鷲神社と長國寺が共同で開催する例大祭です。この例大祭は、毎年 11 月の酉の日に行われる、商売繁盛を願う祭です。

浅草酉の市は、日本最大の規模を誇る酉の市です。ウィキペディアによると、この酉の市には毎年 70 万人から 80 万人の人出があるとのことです。

浅草酉の市が人気になった理由は、大きく 2 つあります。

  • 浅草が近くて便利な場所であったこと
  • 近所に 吉原遊郭(よしわら ゆうかく)があったこと

普段、吉原遊郭の出入り口は 吉原大門(よしわら おおもん)のみでした。鷲神社は吉原遊廓の近所ですが、吉原大門は鷲神社からは不便な場所にありました。

浅草酉の市の開催中、裏門などの非常口を開放しました。これにより、遠回りをしなくても吉原遊郭に入ることができました。そのため、浅草酉の市の帰りに遊郭で遊ぶ人たちが多かったとのことです。

浅草酉の市の詳細については、次の記事を参照してください。

大熊手

熊手は福を掻き込む縁起の良いものと考えられ、酉の市では欠かせないものとなっています。

鷲神社の正面の鳥居には大熊手が飾られており、参拝者の目を引いています。毎年、この大熊手は酉の市のときに新しいものに交換されます。

なでおかめ

鷲神社の賽銭箱の上には「なでおかめ」が奉納されています。なでおかめは木製の大きな顔で、この顔をなでることでさまざまなご利益があると言われています。

なでおかめのご利益はなでる場所によって異なります。以下は公式サイトからの抜粋です。

  • おでこ:賢くなる
  • 目:先見の明が効く
  • 鼻:金運がつく
  • 右の頬:恋愛が成就する
  • 左の頬:健康になる
  • 口:災いを防ぐ
  • 顎:物事が丸く収まる(顎から右回りになでる)

叶鷲(かないどり)

拝殿の横には数多くの「叶鷲(かないどり)」 が奉納されています。叶鷲は鳥を型どった人形で、願い事を書いた紙をこの中に入れて奉納します。

他の神社では絵馬を使いますが、鷲神社ではのこの人形を使います。絵馬だと自分の願い事を他の人に見られてしまいますが、叶鷲ならその心配はありませんね。

樋口一葉の碑

鷲神社のある地域には、その昔、樋口 一葉(ひぐち いちよう)が住んでいました。彼女は、明治時代の小説家です。

鷲神社の境内の右側には、樋口 一葉に関する、以下の 2 つの石碑があります。

  • 樋口一葉文学碑(ひぐち いちよう ぶんがくひ)
  • 樋口一葉玉梓乃碑(ひぐち いちよう たまづさ の ひ)

樋口一葉文学碑には、「たけくらべ」の第 14 章の浅草酉の市の場面が刻まれています。また、樋口一葉玉梓乃碑には、樋口 一葉が作家の 半井 桃水(なからい とうすい)に宛てた手紙が刻まれています。

浅草名所七福神(寿老人)

鷲神社の寿老人は、浅草名所七福神(あさくさ などころ しちふくじん)の 1 柱(はしら)に数えられています。浅草名所七福神とは、東京都の台東区と荒川区にある 9 つの社寺に祀られている七福神のことです。

浅草名所七福神めぐりは、おすすめの浅草観光の 1 つです。通常、七福神めぐりは正月に行いますが、浅草名所七福神めぐりはいつでも楽しむことができます。

浅草名所七福神の詳細については、次の記事を参照してください。

下町八福神(商売繁盛)

鷲神社は、下町八福神(したまち はちふくじん)の 1 つです。下町八福神とは、東京の中央区と台東区にある 8 つの神社のことです。

下町八福神では、それぞれの神社ごとに異なるご神徳(ご利益)があります。鷲神社のご神徳は「商売繁盛」です。

下町八福神すべてを参拝することを「下町八福神めぐり」や「下町八社福参り」といいます。下町八福神めぐりは、地域おこしの一環として 1981 年(昭和 56 年)に始まりました。

その名のとおり、下町八福神はすべて東京の下町にあります。8 つの神社をめぐることで、下町の名所旧跡を楽しんだり、下町情緒を味わったりできます。

下町八福神の詳細については、次の記事を参照してください。

各種情報

社務所の受付時間

  • 不明

電話番号

  • 03-3876-0010

住所

  • 〒111-0031 東京都 台東区 千束 3-18-7

地図

アクセス(電車)

  • 日比谷線の 入谷駅(3 番出口)から徒歩 8 分
  • 日比谷線の 三ノ輪駅(1b 出口)から徒歩 8 分
  • つくばエクスプレス線の 浅草駅(A1 出口)から徒歩 10 分

アクセス(めぐりんバス)

  • 北めぐりん(浅草まわり)の 一葉記念館入口 停留所(停留所の番号:15 番)から徒歩 3 分
  • 北めぐりん(浅草まわり)の 千束三丁目 停留所(停留所の番号:16 番)から徒歩 3 分
  • 北めぐりん(浅草まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:16 番)から徒歩 5 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 一葉記念館入口 停留所(停留所の番号:6 番)から徒歩 3 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 千束三丁目 停留所(停留所の番号:20 番)から徒歩 3 分
  • 北めぐりん(根岸まわり)の 台東病院 停留所(停留所の番号:1 番)から徒歩 5 分
  • 南めぐりんの 千束三丁目 停留所(停留所の番号:27 番)から徒歩 3 分
  • 南めぐりんの 台東病院 停留所(停留所の番号:28 番)から徒歩 5 分

めぐりんバスは台東区のコミュニティ バスです。台東区を観光する場合、めぐりんバスはとても便利です。めぐりんバスの詳細については、つぎの記事を参照してください。

アクセス(都営バス)

  • 都営バス(都 08)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 43)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 63)の 竜泉 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(都 08)の 千束 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 43)の 千束 停留所 から徒歩 3 分
  • 都営バス(草 63)の 千束 停留所 から徒歩 3 分

公衆トイレの有無

  • 境内にあります

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