東京下町ガイド の「見どころ」カテゴリーでは、東京の下町エリアにある観光名所を紹介しています。あなたの東京観光におすすめのスポットを毎回 1 か所取り上げます。
今回取り上げるのは、台東区にある 浅草寺(せんそうじ)の 久米平内堂(くめ の へいない どう)です。
浅草地区で縁結びといえば、今戸神社(いまど じんじゃ)が有名です。その理由は、この神社の主祭神がイザナギとイザナミだからです。日本の神話によると、この 2 柱(はしら)の神さまは最初の夫婦の神さまです。
イザナギとイザナミは仲良くたくさんの神さまと日本の島々を産みました。そのため、人びとはイザナギとイザナミを夫婦円満や縁結びの神さまとして信仰するようになりました。
浅草には、イザナギやイザナミ以外の縁結びの神さまを祀っているところがあります。その 1 つが浅草寺にある久米平内堂です。この小さなお堂は、江戸時代の前期(17 世紀)に実在した 久米平内(くめ の へいない)を祀っています。
このブログ記事では、久米平内と久米平内堂の詳細を紹介します。あなたが東京下町めぐりや浅草観光をする際の参考にしてください。
久米平内について
浅草寺とウィキペディアによると、久米平内(くめ の へいない)は江戸時代の前期に実在した武士・剣術家です(1616 年から 1683年)。
剣術の達人であった久米平内は、江戸で剣術を教えていました。彼は自分の腕を試すために千人斬りを行いました。そのため、彼は多くの人を犠牲にしたのです。
晩年、久米平内は自らの行いを深く反省しました。犠牲者を供養するため、彼は浅草寺の 金剛院(こんごういん)で禅の修行に打ち込みました。金剛院は僧侶のための宿泊施設です。現在は浅草寺の境内の北東にあります。
臨終の際、久米平内は自身の姿を石に刻むように願いました。そして、その石像を 宝蔵門(ほうぞうもん)の近くに埋めてもらいました。たくさんの人びとにその石像を踏みつけてもらうことで、彼は死後も自身の罪を償おうとしたのです。
現在、久米平内の石像は久米平内堂に納められています。
久米平内が縁結びの神さまになった理由
久米平内が縁結びの神さまとなったのは、江戸時代の中期です。
久米平内は自身の石像をたくさんの人びとに踏みつけて欲しいと願いました。江戸時代の人びとは、この「踏みつけ」を「文つけ」と語呂合わせをしたのです。
「文つけ」を現在の言葉にすると「好きな人に手紙を送る」ということです。そのため、人びとは久米平内を縁結びの神さまとして信仰するようになりました。
久米平内堂の場所
久米平内堂は、宝蔵門の手前の右側にあります。雷門をくぐると仲見世通りがあります。宝蔵門は、その仲見世通りを過ぎたところにあります。久米平内堂は、その宝蔵門の手前の右側です。
参考
浅草寺には、他にも縁結びのご神徳(ご利益)がある神さまが祀られています。それが淡島堂の淡島明神です。この淡島明神は、女性を守護する神さまとして有名です。
淡島堂の淡島明神についてくわしく知りたい場合は、次の記事をお読みください。