見どころ:浅草寺の動物守護の仏さま

浅草寺 駒形堂(東京・台東区) 見どころ
浅草寺 駒形堂(東京・台東区)

東京下町ガイド の「見どころ」カテゴリ では、東京下町の観光名所を紹介しています。あなたの東京観光におすすめなスポットを毎回 1 か所取り上げます。

今回取り上げるのは、台東区にある 浅草寺(せんそうじ)の 駒形堂(こまがたどう) です。

駒形堂は、駒形橋の近くにある仏堂(ぶつどう)です。仏堂とは、仏像が安置してある、礼拝や供養のための建物のことです。

駒形堂は、馬頭観世音菩薩(ばとう かんぜおん ぼさつ)を祀っています。この仏さまの主なご利益は、動物守護(特に馬)、旅行安全、無病息災、その他です。

浅草寺は、駒形堂の境内を「浅草寺発祥の地」としています。浅草寺の始まりは、2 人の漁師の兄弟が隅田川で 聖観世音菩薩(しょう かんぜおん ぼさつ)の像を拾い上げたことです。兄弟が像を見つけたのがこの場所といわれています。

この記事では、浅草寺の駒形堂の詳細を紹介します。あなたが東京下町めぐりや浅草観光をする際の参考にしてください。

なお、この記事は英語版もあります。詳細については、つぎの記事を参照してください。

馬頭観世音菩薩について

駒形堂は、馬頭観世音菩薩(ばとう かんぜおん ぼさつ)を祀っています。この仏さまの主なご利益は、動物守護(特に馬)、旅行安全、無病息災、その他です。

馬頭観世音菩薩は、観世音菩薩が変化(へんげ)した姿の 1 つです。慈悲の仏さまである観世音菩薩は、多くの人びとの苦しみや願いを聞くため、相手に応じていろいろな姿に変化(へんげ)するといわれています。

馬頭観世音菩薩の姿には種類があります。駒形堂の馬頭観世音菩薩の特徴は、つぎのとおりです。

  • 三面六臂(さんめん ろっぴ)である(3 つの顔と 6 本の腕を持つ)
  • 怒った表情をしている
  • 冠に馬頭をのせている

馬頭観世音菩薩が怒った表情をしているのには、理由があります。それは、激しい怒りで人びとの苦悩や諸悪を打ち砕き、馬が草を食べるように人びとの煩悩を食べ尽くすためです。

駒形堂の馬頭観世音菩薩の像は、慈覚大師 円仁(じかく だいし えんにん)が作ったとされています。慈覚大師 円仁は、浅草寺の 中興の祖(ちゅうこう の そ)です。

中興の祖とは、その寺院を盛り上げた人のことです。慈覚大師 円仁が浅草寺に来た 857 年(天安元年)以降、浅草寺は宗教の聖地として発展しました。

慈覚大師 円仁は、浅草寺の他にも多くの社寺に関係しています。浅草寺から徒歩 10 分ほどのところにある、牛嶋神社(うしじま じんじゃ)もその 1 つです。

慈覚大師 円仁はスサノオの神託を受けて牛嶋神社を建てたと伝えられています。この神社の詳細については、つぎの記事を参照してください。

縁日

毎月 19 日は、馬頭観世音菩薩の縁日です。特に 4 月 19 日は午前 10 時から大祭法楽が催されます。

駒形堂の場所(アクセス)

駒形堂は、隅田川にかかる 駒形橋(こまがた ばし)の近くにあります。浅草寺の 雷門(かみなりもん)からは徒歩 5 分ほどの距離です。

浅草寺は、駒形堂の境内を「浅草寺発祥の地」としています。浅草寺の始まりは、2 人の漁師の兄弟が隅田川で 聖観世音菩薩(しょう かんぜおん ぼさつ)の像を拾い上げたことです。兄弟が像を見つけたのがこの場所といわれています。

浅草寺によると、江戸時代、駒形堂のすぐ前に船着き場がありました。ここから上陸した人びとは、駒形堂を参拝してから、浅草寺に向かったとのことです。

それ以外にも、駒形堂の近くには、浅草御蔵(あさくさ おくら)の米を運ぶ馬のための厩(うまや)がありました。駒形堂の本尊が馬頭観音菩薩なのは、このことが関連しているのかもしれません。

浅草御蔵は、かつて隅田川沿いに存在した、江戸幕府の最大の米蔵です。蔵前という地名の語源にもなりました。浅草御蔵の詳細については、つぎの記事を参照してください。

駒形堂の歴史

浅草寺によると、駒形堂の歴史は 10 世紀までさかのぼります。そして、その歴史には、平将門(たいら の まさかど)の乱で活躍した武将が関わっています。

935 年(承平 5 年)、平将門の乱が起こりました。関東の豪族である平将門が京都の朝廷に対して反乱を起こしたのです。彼は、関東の大半を占領して独立国家を作ろうとしました。

940 年(天慶 3 年)、朝廷は平将門の乱を鎮圧しました。その鎮圧に貢献した武将の 1 人が 平公雅(たいら の きみまさ)です。彼は平将門の従兄弟です。

同年、その功績により、平公雅は 安房国(あわ の くに)の (もり)に就任しました。安房国は、現在の千葉県の南部です。また、守は一番位の高い役人です。

しかし、平公雅は、武蔵国(むさし の くに)の守になりたかったのです。武蔵国は、現在の東京都、埼玉県、そして、神奈川の一部の地域です。

941 年(天慶 4 年)、平公雅は、浅草寺で自分の出世を祈願しました。942 年(天慶 5 年)、彼は武蔵国の守に就任することができました。そのため、彼は浅草寺にとても感謝しました。

平将門の乱により、当時の浅草寺は荒廃していました。そこで、平公雅は浅草寺の再建に力を注ぎました。

942 年(天慶 5 年)、平公雅は現在地に仏堂を建てたました。その仏堂には、慈覚大師 円仁が作った馬頭観世音菩薩が安置されました。これが駒形堂の始まりです。

浅草寺の他の建物と同様、駒形堂も何度も焼失と再建を繰り返しています。現在の駒形堂の建物は、2003 年(平成 15 年)に再建されたものです。

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参考

  • 浅草寺の公式サイトの記事「駒形堂
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